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【カンボジアの歴史】1966年アジア新興国競技大会の開催と、来週春分の日のアンコールワットでの採火の関係
新興国競技大会(The Games of the New Emerging Forces=GANEFO)は、オリンピックに対抗するものとして1963年11月にインドネシアで初開催されました。1962年アジア競技大会にインドネシア政府の方針でイスラエルと中華民国が招待されなかったことが問題となったのがきっかけで、国際オリンピック委員会(IOC)等と軋轢が生じ、インドネシアと中国が主導して行われたものです。
インドネシアはIOCを脱退し、社会主義国、アラブ諸国、アフリカ諸国に呼びかけてオリンピックに対抗しうる総合競技大会を開催することを目指し、驚くべきことに51カ国が参加しました。そこでIOCや多くの国際競技連盟は、GANEFOに出場する選手はオリンピックに参加する資格を失うと宣言しています。
1961年にインドネシアは国連から脱退して中国とともに「第二国連」構想を進めており、後の1965年には中国と新興勢力会議(CONEFO)を結成することになります。1965年に入りインドネシアでは、反共主義的なスハルトの台頭に伴い中国の蜜月は消えたものの、中国は新興国競技大会の存続を図りました。北京を本部にして企画を継続し、「アジア新興国競技大会」に名称を改め、当初は1967年にエジプトのカイロで開催が計画されていた第2回大会は1966年11月25日から12月6日まで、親中であったカンボジアのプノンペンで開催することになりました。参加国は前回の51カ国から減少し、日本を含む17カ国に減少でした。その参加国は以下の通りです。
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中華人民共和国、カンボジア、モンゴル、セイロン、日本、インドネシア、イラク、ラオス、北朝鮮、レバノン、パキスタン、パレスチナ、ネパール、シンガポール、シリア、北ベトナム、 イエメン
日本においては日本オリンピック委員会(JOC)はインドネシアで開催された1963年のGANEFOには参加しないことを決定しています。参加した選手は国際大会への参加資格を失うほか、国内の国民体育大会への参加資格をも剥奪されました。従って、カンボジアで開催された大会においても、日本は金メダル10個を含む30個のメダルを獲得したものの、その国内団体は日本体育協会とは無関係の団体でした。
この後消滅したいちど限りの幻の国際大会「アジア新興国競技大会」が開催されたのはシアヌーク時代のカンボジアでした。オリンピックを開催していないのにオリンピックスタジアムという名前がついているのには、この辺りの事情が関係しているのかもしれません。当時、オリンピックを模して聖火ランナーも企画されました。1966年12月15日にはアンコールワットを走った記録も残っています。
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この先例を用いて、今月21日の春分の日に、アンコールワットで採火した聖なる火を、シエムリアプ市内のボー寺までリレーし、その後、参加各国を回った後にプノンペンーに届ける計画が進んでいるようです。未だ公式発表はありませんが、アンコールワットにおいてシハモニ国王の臨席を仰ぐとの未確認情報もあります。シエムリアプの王宮が被災した事は懸念材料ですが、東南アジア競技大会を前に、半世紀ぶりの新たな企画が期待されます。
なぜアンコールワットで聖火ランナーなのか。今年のSEA GAMESから遡ること半世紀、そこには忘れ去られた内戦前からのカンボジアの誇りと想いが感じられます。
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