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【日本とカンボジア】国交の無かったカンボジアのフンセン首相の日本入国と治療とカンボジア和平

1991年4月、日本政府が承認していない政権の首相の病気療養という人道目的での訪日招待は、渡辺美智雄代議士等の働きかけもあり極秘裏に行われ、フンセン首相は山内一郎の偽名で順天堂病院に入院しました。山内は当時の順天堂病院長の姓を利用したものです。

首相は3泊4日の日程で入院しましたが、この2年後に皇太子妃となられた雅子様の父君、小和田恆外務審議官(当時)が、「偶然にも」同期間首相の病室のすぐ上の部屋に入院しました。

退院したその日には首相を招いた夕食会が開催され、膠着していたカンボジア和平の進め方が話し合われました。アメリカからは日本の独自の動きに不満の声が上がる中、冷戦後の国連主導での平和構築に積極的に関与しようとした日本の姿が垣間見えます。

この前年、1990年2月には未承認政権であるヘン・サムリン統治下のカンボジアへの河野南東アジア第一課長(当時)の訪問もあり、この半年後1991年10月のパリ和平協定の締結に向け、極めて積極的な外交で日本が大きな役割を果たしたことが窺えます。

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アエラ 1991年5月14日号



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