心が弱っている時に近づいてくる人は要注意
なんでか、心が弱っている時に出会う人って変な人が多い。何度か私も経験があるのだか、人が弱っている時にそれに付け込んでくる人が寄ってくるなと感じることが多く、さらに疲労する。
元々自己肯定感が低い私は、離婚前後で精神的に弱っていた時に復活するまでに、弱さに付け込んでくる人が次から次へと現れた。
離婚後に上司のセクハラとパワハラで職も失いことにより、私の精神は弱り切って自殺まで考えた時期もあったが、少しずつ回復する際に様々な人が近寄ってきた。
何故だか心が弱っている人に対し、ハイエナのようにニオイを嗅ぎつけて近づいてくる。善人面して、「あなたのことが心配なの」「助けてあげたい」という甘い言葉で寄ってくる。自己啓発・スピリチュアル・宗教・ネットワークビジネスなどが寄ってきて寄り添ってるふりして支配してくる。
私も新しい職場で、上司の方に話の流れから経緯をちょっと話したら「あなたに死相がでてる」と言われ、当時は信じてしまった。正常な心であれば、嘘と判断できることも心が弱っていると正常な判断ができない時がある。すっかり信じてしまった私は彼女に依存してしまった。しかし、私が成長しようと自立活動すると彼女は必ず妨害や否定をしてくる。次第に彼女の言動が信頼できなくなり、私は関りを減らすために他に没頭することにした。私は通信の大学に通い始めたことによって課題に追われるため、彼女の誘いを断るようになった。大学入学当初は案の定いろいろと言われたが、いざ没頭することが見つかると次第に彼女は私を構わなくなった。そして、ある日を境に彼女との連絡を絶った。
彼女の根底にあるのは人を「助けたい」というより「自分が人を変えた事実を味わいたい」という承認要求が強い人物であることに私は気が付いた。人の心の中には、「誰かを変えたい」という欲望は存在する。しかし、私は思うのは本当に人を変えたい人は自分が変わらないと人は変わらない。だから口先で「あの人は私が言ったおかげで変わった」とか「私は人を手助けするのが得意」という人を私は信じない。本当に人を変えた人は自分からそんなことは言わないし自覚していない。
結局のところどう対処すればいいのか?
私は自分の心が弱った時にいくつか実践している
1,人に依存しない
弱っている時ほど、他人をあてにせず自分で立ち上がる。すごく難しいけど、結局これをしないと弱さに付け込もうとする人が寄ってくる
2,弱っている時ほど何かに没頭する
私の場合、通信大学に入ることでしたが、その他にも健康ランドに行ったり、ドラマや映画を見たり、部屋の掃除をしたりと自分を忙しくすることで弱っている原因を一時的に忘れることができる。
3、規則正しい生活を心掛ける
朝日を浴びて起床し、適度な運動と、3食自炊、12時には寝る生活をするだけで気持ちが少し前向きなる。科学的にも証明されていて、日光浴することでセロトニンが分泌されストレスが軽減されてると言われている。私は朝方なので、8時には起床して熱いお茶を入れて、飲むことで体を起こしている。
4、弱っている時ほど外見に気を付ける
人はなんだかんだで外見で判断する。そう実感したのは、私が地味な服装で猫背気味で新宿駅を歩くと高確率で当たり屋にぶつかることが多いので気づいた。見た目の弱さで人の的になることがある。気弱そうな人にパワハラ・フレネミー・自己愛・マウンティング女子などもよってくるから、弱っている時ほど外見に気を付けると弱っている自分の安全対策にもなる。
どこにでも書いてある対策内容だけど、いざ自分が経験するとこの対策は役に立つ。弱っている時は、いつも以上に視野が狭くなっているし判断力が世衰える。心がぐらぐらしている時に自分をしっかり持つことはとても難しいことではあるが、自分の心弱さの誰かに頼りたい依存したいという気持ちは誰にでも生まれる。しかし、手助けする人すべてが善人であるわけでない。誰しも弱っている時に人助けや役に立ちたい気持ちがあるが、善意の押し付けの可能性もあるし、助けている自分に酔っていたり、感謝や尊敬といった承認要求を押し付けられていることもある。
これは持論であるが、このように寄ってくる人の心理は生活に満たされていなかったり、寂しいという気持ちからきているのではないか。寂しい人は寂しい人のニオイを嗅ぎ分けて寄ってくる。もし、満たされているなら自分から人助けをするより、自立するように見守る姿勢側にまわる。
もし、心が弱っていても生活が満たされていたら寂しさを分散でき、ハイエナは寄ってこないのではと私は考える。だから、弱っていても日常を変わらず過ごすことが大事なのではないかと思った。私もできた人間ではないが、一人で楽しく暮らすための自己防衛策として、苦戦しながら実践していきたいと思う。