自己肯定感が低いと不幸を浸っている

私は自己肯定感が低くなりがちである。

そのせいで長年苦しんできたことがここ何年かでわかってきた。

物心つくころから、自分がちょっと人より変わっていることはわかっていた。学校のクラスや部活で友人関係がいつも孤立してしまう自分は、人より自我が強いのかと思って生きてきた。そんなこんなで、高校生になるころには学校での友人関係は諦めて、学校内ではある一定の距離をとって学校外の友人と付き合っていた。そんな私を母はみて、「あなたが何かするから友人ができない」「普通でないからあなたが悪い」と何か起こっても、理由を聞かず私を疑うことから始まった。親は私がすることなすことに否定的で、私が気にって買ってきたものにケチをつけたり、自分がやりたいことも却下され、そのうち何も報告することなく、自分のやりたいことは自力でなんとかすることに慣れてきた。そんな訳で、実家で過ごした10代はなんだか息苦しくて、自分の家であるけど落ち着かなくて高校卒業と同時にすぐに東京に出た。

私の外見や言動で、がさつとか料理しないなど人から思われる節があり、私が料理しても誰も食べたがらなかったり、食べたとしても私が作ったと信じてくれる人は少なかった。地味で無能で人が良さそうに見えるからか、ネットワークビジネス・保険・宗教勧誘定期的に合う。

そんな私でも一生懸命普通な人になろうと努力した。20歳で働くようになって、親に時々プレゼントしたり20代後半で結婚もして順調に回りと同じように人生のステップアップしてるかのように見えた。

しかし、子供がなかなか出来なかった。どんなに治療して、体外受精を何度も経験しても、子宝にかすりもしなかった。次第に焦り始める自分。私生活では元夫にあたって、両親からはデリカシーない慰めの言葉で傷つき、職場では不妊治療による上司のセクハラにあい、やっぱり普通じゃない私がどんなに努力しても皆みたいな幸せを手に入れることはできないんだと自分を責め続けた。

不妊治療を辞めても自分を責め続けていた。何をやってもうまくいかない、普通の人が簡単にできることが自分にはできず、元旦那には何も不満はないが、妻という役目が自分には重すぎて、自分で自分を呪いをかけた状態で一緒にいることに疲れて離婚してしまった。

「私なんて」と思い今までたくさん諦めてきたことが、多かった30年間。周りの人が羨ましくてしょうがなかった。そんな中新しい業界に入って現場で上司からパワハラ的なことに合っていた時期に、漠然と”私が暇だから先輩たちがちょっかい出してくるのか”と思い立って忙しくするために通信の大学に入学した。そうこうしているうちにコロナウイルスが広まり仕事がなくなったっが、学業があったおかげでコロナ禍でもやることがあってなんだかんだで嫌な人との付き合いも切れて気が付けば卒業間近まできた。何故通信の大学に行ったかというと大学への憧れがあったからだ。18歳あの頃の自分は本当は大学に進学したかったが、”自分は馬鹿だから大学なんて無理なんだ”と思いこんで諦めていたが、今こうやって大学卒業まできた。あの頃の自分に戻ったら抱きしめて”自分を決めつけないで諦めないで”と言ってあげたい。

自己肯定感が低いと何もいいことがない。自己肯定感が低いほど誰かに依存しやすく、人の意見を主軸にしてしまいがちになる。そして、人とより比べて自分の評価を自分を大事にできるのは家族でも友達でもなく一番は自分自身である。周りを気にせず自分は自分の見方であり続ける。


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