一眼レフの到達点「Nikon F3」
前にも似たようなことを書いたかも知れないが、こういうのは何度でも書いておきたいので気にせず今回書いておくことにした。
●当時の最先端メカトロニクスカメラ
ボクが「Nikon F3」という一眼レフカメラを最初に知ったのは、科学雑誌Newtonの最先端メカニズム紹介コーナーだった。精密な機械と高度な電子制御(アナログ-デジタルIC)を組み合わせた、いわゆるメカトロニクスの塊のその一眼レフカメラは、ボクの心を一気に捕らえた。
「このカメラさえあれば撮れないものなど何もない」と思った。
●一眼レフに対する世間の印象
今はデジタルカメラでもミラーレスカメラが主流になってきたので以前ほどでもなくなったが、ちょっと前までは「一眼レフ」という言葉は特別で、中でも、カメラに詳しくない者は「一眼レフ」とは「すべてが綺麗に写る魔法のカメラ」という認識を持っていたほどだった。
つまり、「詳しくは知らないけど、一眼レフってすげえカメラなんだろ?」ということである。
●「一眼レフ」とは
しかしながら「一眼レフ」というのは、あくまでもファインダー形式の種類を表しているだけであり、そしてそれは画質に直接関係する形式ではない。単純に言うと、「フィルムに届く光を鏡を使って横取りして目で見る」という形式に過ぎない。それゆえ、ミラーボックスという余計な構造物を割り込ませるせいで、レンズのバックフォーカスがどうしても必要になるという設計上の成約があり、むしろ画質に関しては不利でさえある。
●一眼レフの苦手克服
ただ、人間でも同じように、自分の苦手な部分を努力で克服し、かえって他人よりも得意となってしまうことがある。一眼レフカメラでは、システム化が容易であるという汎用性からニーズも高く、そのため製品開発競争も他の形式のカメラに比べると段違いだった。そのおかげで広角レンズの画質向上や撮影後のファインダーブラックアウトの解消など、一眼レフカメラの持つデメリットがほぼ解決された。
●到達点としての「Nikon F3」
そのような一眼レフカメラの発達の末に産み出された1つの製品が、「Nikon F3」であった。これは一眼レフカメラの1つの到達点とも言える。本格的なAF化はされていないものの、一眼レフの本質であるファインダーを極め、21世紀の現代に至るまでその機構を超えるものがついに現れなかった。
もちろんファインダーのすべてを使わないにしても、選択肢があるということは重要だった。
●一眼レフならばファインダーが重要
ボクが思うに、一眼レフであるならばファインダーやファインダースクリーンは交換式でなければ何の意味も無い。なぜならば、先にも述べた通り一眼レフというのはファインダー形式を表すものであり、ファインダーを極めることこそが、一眼レフカメラを極めることであると言える。
だから、せっかくの一眼レフなのにファインダーが交換できないというのは意味が分からない。
●本質を極めた「NikonF3」
なお、「F3」以降に発売された「F4」、「F5」、「F6」、さらにはデジタル化した「D1桁シリーズ」はさらに進んだカメラのはずなのに、どうしても「F3」を超えているようには思えなかった。それはやはり、一眼レフとしての本質を極めたという点では「F3」を超えられなかったせいだと思っている。
特にAFが主流となってしまうと、ファインダーの見え方は明るくクリアなファインダーとなってしまった。それは一見良いことのように思えるが、空中像(素通しの非投影像)に近くなってピントの山を掴むことが難しくなったということでもある。もちろんAF運用前提ならばピントの山が掴めなくてもカメラ任せで問題無いのだが、それでは一眼レフであることの意味を失うこととなってしまう。
Nikon F3では20種類以上のファインダースクリーンが用意され、レンズの焦点距離や開放F値に応じて最適なスクリーンを選ぶことが可能である。それはやはり、人間の目でピントを確認するという一眼レフの本質を極めるためと言える。
結局のところ、この「F3」が一眼レフとしてのピークとなってしまったわけだ。