【息ぬき音楽エッセイvol.3】Hugo Wolfと梅津時比古 by 村松社長
みなさまこんにちは。カロワークスの村松社長です。
激しい雨が続いた梅雨もそろそろ明けて、また夏がやってきますね。
今回は夏の初め、日差しが強くなる時期がくると、毎年思い出すエッセイと、一人の作曲家についてのお話です。
大学生の頃、毎日起きてすぐ新聞に目を通すのが習慣でした。
(それに比べて今の自分の、なんと余裕のないことよ…反省…)
ある日の朝、いつものように開いた紙面に載っていた文章に、突如心を鷲掴みにされたのでした。
それは、「夏の蝶」と題したエッセイ。
少し長くなりますが、冒頭の文章を引用します。
夏の初めに紛れ込んでしまった紋白蝶は、苦しそうだ。日差しの下を飛ぶその姿を見ていると、苦い幻想が広がってゆく。
夏の昼日なかの直射日光は、蝶が耐えられる限度を越している。突き刺す光に、鱗粉を雲母のようにぼろぼろ剥がされながら、飛ぶというよりは、さまよっている。もう花もあまりなく吸う蜜も少ないから、飛ぶ力が弱い。
剥離して宙を舞う鱗粉が、交錯する光にからまり、粒子のようにきらめく。その一瞬の乱反射は、浮遊する悲しみのようだ。
人間には見えない紫外線が、蝶の目には見えるという。紫外線を写すカメラで見ると、白いものも黒く見える。強烈な夏の陽光のただなかで、蝶は闇のような黒い影に閉じ込められているのだろう。
やがて蝶は飛べなくなり、落下する。死の直前、あふれるほどの花と、むせかえるような香りに包まれるだろうか。そのような幻視、幻覚が、蝶に訪れるだろうか。その花は、黒いのだろうか。
闇の中でさまようように飛ぶ瀕死の蝶。雲母のようにきらめく剥がれた鱗粉。夏に飛ぶモンシロチョウを見て、ここまでのイマジネーションを描写することのできる、この人は一体何者なんだろう…
私はすかさずその記事を切り抜いて、名前をメモしました。
その人の名前は、梅津時比古(うめづ ときひこ)さん。
記事を読んでからだいぶ経って、このエッセイが収録されている本を見つけました。
梅津時比古さんは毎日新聞の元記者で、西洋音楽史が専門とのこと。音楽に関する本を何冊も出されていて、この本は『フェルメールの音』に続く「音楽の彼方にあるものに」シリーズの2冊目でした。
この本1冊の中に、見開き1ページに収まる短いエッセイが96編も収録されているのですが、すべてに共通しているのが「死」「孤独」「悲しみ」「静寂」といったテーマであるように思います。
音楽にまつわる文章なので、全編に作曲家や演奏家、曲の紹介や演奏会の感想などが綴られています。選んでいるのもシューベルトやショパン、アルヴォ・ペルトなど「悲しみ」「静寂」といった言葉が合うような音楽がほとんど…。
有名な作曲家や曲も多いですが、中にはスウェーデンの作曲家 ラーシュ=エーリク・ラーションのように、あまり知られていない音楽の時もあります。
大学生の私が心を鷲掴みにされた「夏の蝶」も、フーゴ・ヴォルフという日本ではあまり有名ではない作曲家についての文章でした。
Hugo Wolf(1860-1903)はオーストリアの作曲家で、時代としてはマーラーやチャイコフスキー、シュトラウスなどと同じ後期ロマン派にあたります。器楽曲なども作りましたが、ゲーテやメーリケなどの詩、作者不詳の詩に曲をつけた短い歌曲で知られています。
梅毒にかかり、精神病院へ強制入院させられ、自殺未遂の末43年の生涯を終えたヴォルフの人生や作品もまた、「死」や「孤独」といった空気を色濃くまとっているようです。
「夏の蝶」で紹介されていたのは、「わたしを花で覆ってください」(原題:Bedeckt mich mit Blumen)という、愛と花の香りに包まれて死んでいく夢想を描いた詩(世俗曲)にヴォルフが曲をつけたものでした。
梅津時比古さんの名前とともにフーゴ・ヴォルフの名前もメモした私は、梅津さんの本よりも先にヴォルフのCDを見つけて聴くことができました。
ここではヴォルフの代表的な歌い手、エリザベス・シュヴァルツコップ(Elisabeth Schwarzkopf)さんによる演奏をご紹介します。
(いまは検索するとすぐに聴けて便利!)
ヴォルフの曲は悲しみを湛えつつも、どこか心が安らぐ魅力があります。私はよく雨の日に音量を極小にして聴いていますが、不思議と懐かしいような気分になって心拍数が落ち着いてきます…
この曲なんかは特におすすめです。
日本ではなんと260種類もの蝶が見られるそうです。
初夏に蝶を見かけたら、皆さんもぜひ闇の中でさまよう姿に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
それではまた次回!
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