どうして自分は生きることが出来ているんだろう、と、がんになった私は時々ふと思う
初めてnoteに書いてみます。
ブログはすでに2つ(Wordpressとはてな)に書いているし、YouTubeでも語っているので、今さら別ブログというのも何なのですが…
WordpressとYouTubeは主にがん関連の闘病記的なもの、そしてはてなは趣味の話。そのどちらにもそぐわない内容、心のつぶやきのようなものを、ここに書いてみようかなと思いました。
書くことで、気持ちがおさまることがあるので。
上記に加え、
よろしければこちらもお付き合いくださいませ。
さて、今回のタイトルですが、
「どうして自分は生きることが出来ているんだろう」と、がんになった私は、時々ふと思うんです。そのまんま、なのですが。
どういうことかと言いますとね。
がんは、かつては不治の病と言われ、がんイコール死、のイメージが強かった。
けれど今は医学の進歩もあり、がんは共生するもの。完治こそないものの(寛解という状態はあります)、経過観察の身となれば、特に治療を受けることもなく、通常の生活を送れる。そんな病気になりました。それは事実。
でもね。
がんがわかって、わずかの期間で旅立つ命もある。
苦しんでもがいて、とても辛い闘病生活を送る患者さんもいる。
早期発見が功を奏して、簡単な治療で、日常生活に戻れる人もいる。
なんなんだろうな、って思う。
生きられずサヨナラしていく命と、
私のように、がんでも生きている命と。
なんなんだろうな、って思うんですよ。
私よりずっと若いのに、サヨナラしていく人。
私よりずっと年上なのに、元気な人。
ひるがえって、自分はどうだ。私は、どうして生きることが出来ているんだろう?
私だってがんだし、転移もしたし再発もしたし、まぁそれなりの患者人生を過ごしているけれど、いま元気に生きることが出来ているのはどうして?
同じくがんを患ったために生きられなかった人たちに、申し訳ないよ…
私だって、がんなのに。
元気でいて、いいのかな。なんか、私ばっかり元気で、悪いよなぁ。
そんな思いに、時々、さいなまれることがあるんですね。
どうして人は生きるの?どうして人は死ぬの?
そうやって幼い子に問われたらきっと私は、
「運命だから」「寿命だから」「生き物だから」
って答えると思う。そう答えることしかできないと思う。
あ、この問いは、冒頭で自分自身が発した問いそのものではないか!
生きるも死ぬも、努力でどうにでもならない部分があり。
だから私は生きている。生かされている。
それは運命であり、これが私の寿命であり、わたしが生き物だから、なのである。
そのことを受け入れた時、私の心は楽になる。
私は今、生きるようにできている。
誰に申し訳なく思う?
何を疑問に思う?
シンプルでいいじゃない!いま元気で生きている、それでいじゃない!
この私の運命に、寿命に感謝して。
ありがたく、今日も生きていけばいい。
自問自答、終わり(笑)
時々この堂々巡りが、私の中に起こっては消え、起こっては消え、するのです。