機動戦士ガンダム 水星の魔女最終回 その後のスレッタは やばい!?3年後をネタバレ考察!
※この記事はファンメイドコンテンツであり、感想文です。読者の皆様が 「そんな話なの?」「もう一回観てみようかな」と、水星の魔女に興味を持ってくださることを目的としています。観てください、ぜひ!
『機動戦士ガンダム』は、バンダイナムコの代表的シリーズであり、モビルスーツという人型ロボットが活躍するアニメです。待望のシリーズ最新作(2024年現在)として、水星の魔女は大きな注目を浴びました。
24話には、最終回にふさわしい熱い演出が各所に散りばめられました。ガンダムの合体と奇跡、キャラクターの生存、美しい情景や音楽。そして『目一杯の祝福を君に』という主題歌を回収したタイトルです。
しかし、難解で美しい水星の魔女の物語の裏には、とんでもないやばさが隠されています。本記事は、最終回のスレッタの3年後に注目して考察します。
最終回のストーリーは?
まず、最終回のストーリーをおさらいしましょう。
スレッタは、母親のプロスペラを止めるため、キャリバーンに搭乗し、クワイエット・ゼロに向かいます。クワイエット・ゼロが完全に起動すれば、パーメットを介したあらゆるシステム (戦艦や戦車、モビルスーツなどの兵器、そして、フロントなど全てのインフラ) が、暴走したプロスペラの手中に落ちてしまうからです。
スレッタが、エアリアルとエリクトを戦闘で引き付ける間に、ミオリネがコードを入力し、クワイエットゼロを停止させました。
しかし、そこに第三勢力である宇宙議会連合が惑星間レーザー送電システムを照射。主人公機のエアリアルが破壊されてしまいます。
スレッタはデータストーム汚染に苦しみながら、プロスペラに対峙し、クワイエットゼロの再起動を拒みました。そして、アーカイブとなったエラン4号とエリクトの思いを力にして、母親や仲間を守るために立ち上がります。
最終的に、スレッタはスコア8を凌駕するオーバーライドで、ILTS(レーザー)を強制停止させました。キャリバーン、エアリアル、ファラクト、シュバルテッゼらガンダム、そして、クワイエット・ゼロを粒子化し、戦いを終わらせます。
そして、3年後。地球の麦畑には、ミオリネと共に微笑むスレッタの姿がありました。
3年後のスレッタは何をしている?
水星の魔女24話のエピローグでは、キャラクターの3年後が描かれています。
スレッタは障がいを負い、麦畑を歩いていました。ミオリネを見つけると、笑顔で手を振り、ミオリネも振り返します。彼女たちの薬指には指輪がありました。二人は土手に腰掛け、スレッタは近況 (学校の建設や体の麻痺など) を説明します。
ラストシーンではミオリネがスレッタに手を差し伸べ 「帰りましょう」 と彼女を立ち上がらせます。そして、二人の少女と車椅子のプロスペラ、ホッツに入ったエリクト、地球寮のメンバー、シャディクガールズを映した夕暮れの遠景で物語は幕を閉じました。
どうして、最終回はやばいのか?
水星の魔女は、機動戦士ガンダムのシリーズ作品です。本シリーズは人間の生き様と強さを描き、根強い人気を築いてきました。そして、今作の主人公スレッタも血の通った一人の女性として、その成長を期待されていました。
しかし、ハッピーエンドと喜ぶには、ノイズがあまりに多すぎるのです。3年後のスレッタに注目して考察します。
3年後のスレッタに潜んだ問題点
問題点 1 スレッタの恵まれない環境
3年後のスレッタには、ガンダムの搭乗による歩行困難や全身麻痺の障がいがあります。
麦畑のシーンでは、一定のテンポの歩行ができず、後ろに転びかけ、慌ててバランスを取る描写がありました。とても一人では生きていけません。顔には痛々しいデータストームの傷跡が残りました。
しかし 「体も少しずつ動くようになってきましたし」との台詞から、麻痺は快方に向かっていると示されています。
・リハビリを荒地でしている
スレッタは、地球の田舎でリハビリをしています。映像は美しくても、そこはあまりにひどい環境でした。凸凹の激しい麦畑の地面。たった1本のロフストランド杖、しかも、その杖はスレッタではなく、子どもたちが持っていました。宇宙育ちには慣れない地球の重力も、スレッタには負担です。
一方、作品の主な舞台は、宇宙フロントにありました。手摺や平らな地面、低重力、壁のエスカレーター。充実した医療、設備が描かれました。しかし、障がいを抱えたスレッタはあえて先進国から発展途上国へ下りています。
同時に、ミオリネも地球に降り立ちました。ミオリネはクインハーバーの事件の弾劾から身を守るために、サビーナたちを護衛につけています。当然、家族であるスレッタの安全も保障されているとはいえません。
リハビリはスレッタの可能性を広げ、安定した生活を行うためのものです。しかし、スレッタは、再起に適切な場所から遠ざかります。ミオリネとの約束や学校建設を、自分の将来より優先する生き方を選んだと考えるのが自然です。後遺症への向き合い方は、緩やかな自傷行為となっています。
補足:他の登場人物は適切なケアを受けた
最終回では、義足のペトラがフロントのベンチでラウダに寄り添われ、ガンド医療のテスターになったと話しています。また、小説版ではミオリネの幼馴染のユーシュラーが登場しました。彼女は虚弱体質ですが、ハロを搭載した移動支援のためのステッキを携えています。
・ミオリネからの理解がない
家族が障がいを負った場合、サポートと同時に、安全な環境でのリハビリを勧めます。本人を思えば、彼女の自立や可能性を広げようとするからです。
障がいを抱えたスレッタと共に、 ミオリネは土手を登ります。映像では土手の傾斜は30%以上。超激坂と呼ばれる角度でした。
このシーンは作品のラストカットであり、おそらく作画ミスということはありません。
麻痺のある家族を連れて、足場の悪い土手は登りません。スレッタは平地でもよろけている上、ミオリネより体格に恵まれています。転倒した場合は支えられません。少なくともミオリネはスレッタの体を理解し、彼女の安全を整えることはしませんでした。
一方で、ミオリネはスレッタを立ち上がらせるために手を差し伸べます。彼女を助けたい気持ちは誰よりもありました。ミオリネにないのは、スレッタを理解しようとする思いです。
・社会福祉が不十分である
スペーシアンとアーシアンの格差問題は解決されませんでした。アドステラの社会の在り方は不安定です。
社会は人を守ろうとするものです。ルールを敷いて、違反者には罰を与え、再犯を防ぎます。次世代に平和な世界を繋げるモラルと共にあるためです。
しかし、クワイエットゼロの責任をシャディクが被ることをミオリネは受け入れました。この肩代わりによって、ミオリネとスレッタの父母、そして、ミオリネ自身の罪は無関係な彼に転嫁されます。
ミオリネ (と、おそらくスレッタ)は、戦争犯罪の真犯人への裁きより、自分たちの得を優先すると結論づけました。この考え方は、社会全体の後退に貢献しています。
問題点2 スレッタが強みを失った
・ガンダム、そして、モビルスーツに乗れる健康な身体がなくなった
スレッタの操縦能力は大変優秀で、作中で無敵を誇っています。そして、スレッタがガンダムで行っていたのは、戦闘だけではありません。ゆりかごの星では、救助のエキスパートとしての活躍が描かれます。
もともとスレッタのガンダム操縦技術は、プロスペラによって仕込まれましたものでした。しかし、いつしかその力はスレッタ本人のものになります。花婿の座を維持したり、ミオリネや二力、学園を守ったり、母親を悪の道から救ったりと、立派な自己実現の力として機能していました。
しかし、3年後のスレッタは乗れません。そして、彼女は一点特化型です。17年間、他の分野を犠牲にしながら磨いた技術は無に帰しました。20年の遅れを取り戻すように、学びの日々が始まるのでしょう。
問題点3 学校の建設に信憑性がない
スレッタの夢、学校建設については媒体によって表現が違います。年表では 「地球に学校を建てた」 ガイドでは「水星と地球に学校を建てるために努力している」と書かれているようです。どちらも、スレッタの社会との関わりを果たしています。
・水星が出資者を失っている
4話では、水星の過疎化がスレッタによって語られています。月でパーメットの採掘が始まったことで人口減少が進み、星は厳しい状況です。ゆりかごの星で登場したのは老人ばかりでした。
さらに24話で、ミオリネがベネリットグループを解散したことで、スレッタの故郷、ペピ・コロンボは出資元を失いました。同時に、シンセー開発公社も力を失い、水星には後ろ盾がありません。
・スレッタの能力と努力が描かれていない
4話では、スレッタがモビル重機理論の初歩で引っ掛かり 「勉強遅れてるから」と寝る間も惜しんで、学習するシーンがあります。また、作中での彼女の自発的な問題解決能力は、充分とは言えません。2期の前半はずっと洗脳状態にありました。
さらに、7話以降のスレッタが在学中に力を入れていたのは学校建設とは別の事です。スレッタの労力や時間は、ミオリネの用事に多くを割かれていました。決闘やトマトの世話、部屋の片付け、一日3回のメールなどです。
10話ではガンド義肢を調整してくれたベルメリアの話を遮ってまで、ミオリネの温室の水温チェックに向かっています。13話でも同じく、リリッケへの励ましを打ち切り、トマトの世話に向かいました。スレッタが夢に向かって努力する描写がないため、実現を想像することが困難です。
問題点4 不自由な家族 そして、家族の願いを無視したスレッタ
最終決戦では、スレッタの働きかけによって、サマヤ一家に変化が訪れます。彼女たちの現状と、対するスレッタの行動を見てみましょう。
・エリクトがマスコットになった
プロローグの生きたエリクトは、ケーキを食べることも、部屋を飾り付けることも、母親を抱き締めることもできました。しかし、エピローグでは自由に動ける体を失い、喋ると目が光るマスコットになっています。小さく前へならえの格好から、手足も動きません。
母親のプロスペラは、エリクトの自由のために戦っていました。16話には「スコア8なら、クワイエット・ゼロでデータストームの領域を広げれば、エリィは自由に生きることができる!」という台詞があります。しかし、3年後のエリクトは自由と言えません。
・プロスペラが車椅子生活になり、気力を失っている
プロローグからクワイエットゼロの消滅までのプロスペラは、野望のために精力的に活動していました。しかし、24話では 「お母さんの体はもうすぐ動かなくなる。~中略~ 足なんかはとっくにね」とデータストーム汚染の進行を告白しています。そして、ついに、エピローグでは車椅子に座り、一言も喋らず微動だにしなくなりました。
何よりも、プロスペラが人生を捧げたエリクトの救出は、スレッタに阻まれて失敗しています。
(キャラコメンタリーでは、ミオリネと口論をするシーンがあるそうです。プロスペラの容態については断言できません)
・スレッタが家族への思いやりを失った
最終決戦のスレッタは、実はプロスペラを否定していました。19話で、スレッタはクイーンハーバー焼失の惨事をニュースで確認し、プロスペラの人間性を知ります。その後の21話では、議会連合グストンからの要請で、キャリバーンでの出撃を決意しました。それは、強大な力であるクワイエットゼロを、プロスペラに持たせるのは危険だと判断したからです。
最終的なスレッタの望みは、プロスペラとエリクトという家族に集束しました。しかし、スレッタは母親の意思や人生について、何も探ろうとしませんでした。
母娘の最後の会話を振り返ります。
スレッタが 「復讐よりエリクトの未来を選んだんだよね」と間違えをぶつけ、プロスペラに 「あなたになにが・・・」と反論されています。
なぜかというと、ゆりかごの星ではエアリアルの語りによって、プロスペラの復讐は真実だと書かれているからです。さらに、19話のプロスペラは 「ガンドの理念を踏みにじった大罪人が、今度はエリィの未来を邪魔するなんて、許せないわよね」と地球にあるオックスアースを破壊しています。21年前の憎しみは確実に燻っていました。
最終的に、スレッタは 「みんなが否定しても、間違ってるって言っても、お母さんの選択を肯定します」と言いながら、プロスペラの選択であったクワイエットゼロを粒子化しました。相手の選択に再起不能を課すことは、肯定ではありません。スレッタは口先でプロスペラを肯定しながら、行動で彼女を否定したのです。
クワイエットゼロは、プロスペラにとって、娘に自由を与える最後の希望でした。しかし、希望を抹消したスレッタは、エリクトを不自由なキーホルダーマスコットに移動させ、微笑んでいます。このやばさに、スレッタ本人が気付いている描写はありません。
そして、本編を通して、この『あなたの幸せのためだからと、相手の意思を無視して、自分の意見を押し付けるやり方』をスレッタに正しいと教えたのはミオリネでした。
まとめ
本記事では、3年後のスレッタの行動を振り返りました。スレッタには
・自分の再起に消極的である
・大切な人間関係に分かり合いがない
・夢を実現する力が描かれていない
という、ガンダム初の女性主人公らしからぬ問題点があります。
水星の魔女は美しく感動的なシーンを繋げ、あたかも幸せであるかのような映像で、スレッタのラストシーンを彩りました。ミオリネとセットになる情景が作品の全てなら、見事に纏まっていると言えるかもしれません。しかし、ひとりの女性としての人生に真剣に向き合うと、また別の一面が見えてきました。
2023年7月30日に、公式サイトで発表された声明では『作品側としては、本編をご覧いただいた皆様一人一人の捉え方、解釈にお任せし、作品をお楽しみいただきたいと考えております』と書かれました。物語をいかに受け取るかは視聴者の解釈に任されました。
水星の魔女は、観れば観るほど様々な解釈の溢れる怪作です。これからも、水星の魔女が視聴者それぞれの捉え方を尊重した作品であると同時に、ファンにとって最高のエンターテインメントであるよう深く願っております。
2024年現在、水星の魔女には安全な意見交換の場がありません。本記事にご意見の方は、ノートのコメント欄に、ご自身の水星の魔女考察ノートなどを冷静に貼って頂くなどして、穏やかな場にして頂くようお願い申し上げます。