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小説「人間革命2巻」③~光と影~
終戦から徐々に日本国内での復興をし始める中、民主主義の名のもとに世間ではストや暴動が起き始めていく。一方、創価学会は戸田を中心に、座談会が開かれ、皆が蘇生していく姿を一人ひとりが感じ取っていくのである。
地味な会合を、座談会として活発に行ったのには、理由があった。そこには、老人も、婦人も、壮年も、誰もが集うことができる。貧富の差や学歴の違いは、全く問題ではない。むろん、この会合には、中心者はいるが、あくまで皆が主役である。
したがって、今日、初めて来た人も、あるいは信仰に疑問を持っている人でも、自由自在に意見や、質問や、体験を語ることができる。一切の形式抜きで、全員が納得するまで、語り合うこともできる。
戸田はこれこそ民主主義の縮図であると考えた。
本来の民主主義の縮図を、創価学会はすでに確立していた。誰もが主役であり、誰もが自由であり、誰もが幸福になる権利がある。この和気あいあいとした連帯こそ、創価学会の本来のスクラムなのであると思う。
(青年)「そうじゃないか。俺は、騙されないぞ!
仏国土の建設ーそんなお説教には、もう騙されないぞ。俺たちは、考えてみれば、もの心ついてから、ずっと、騙され続けてきたようなもんだ。
『天皇の軍隊』『無敵海軍』『八紘一宇』『聖戦』『欲しがりません勝つまでは』…。いじらしいじゃないか。おれは感激して予科練に入り、最後に特攻隊となった。『神州不滅』『悠久の大義に生きる』-ここまできた時、ちょっと寂しかったねぇ。だが、俺たちの死が、日本民族の永遠の繁栄のためになるなら、喜んで死んでいけると、心から思っていた。
ところが、どうだ。めちゃくちゃじゃないか。目が覚めて、自分が何をやってきたかを、冷静に振り返ってみたら、とんでもない。みんな、嘘っぱちだったよ。若い俺たちは、いい調子に踊らされていただけだ。
俺は、そこで、トコトンまで考えたね。人を恨んだって、始まらない。ただ、この先、いったい何年、生きるものかは知らないが、もう絶対に、二度と騙されまい、俺は固く決心したんだ」
座談会の場で、吐露した青年の心中は、当時誰もが思っていたことであろう。信じていたものが嘘であったその衝撃は凄まじいものがあるだろう。そして、二度とだまされまいと決めていくのである。しかし、人は必ず何かを信じている。騙さないとしながらも、騙されないということが幸福の道であると信じているのである。その青年に、戸田は諭すようにいう。
(戸田)「君の経験でわかるように、無批判に信じるということは、恐ろしいことなんだ。世の中に、こんなに恐ろしいことはない。間違ったものを信じると、人は不幸のどん底に落ちる。どんなに正直で、どんなに立派な人であっても、この法則に逆らうことはできない。君は、こういうことを、ちょっとでも考えたことがあるかね」
信じるということを人は、抜き去ることはできない。だからこそ、本当に正しい道を選ぶことが重要なのだ。
(青年)「考えます。そして、必ず結論を出して、伺います。これだけは、あなたの誠意に応えるために、お約束します。ありがとうございました」
怒鳴り散らしていた青年は、戸田の親切丁寧な話を受けて、誠意をもって応えようとする。最初は青年らしい自身の正義感から来るものであったのだろう。しかし、諭されて、自身の過ちに気づいたのだ。そして、本書にもあるように、最終的に入信を決める。戸田先生や池田先生が、青年を大事にするのは、こういった正義感を振りかざしつつも、自身の過ちには誠実に謝り、そして、人の誠意を感じて取っていくところなのだと思う。
彼(戸田)は、情熱の一切を、法華経と御書の講義に傾けていた。そして、各所の座談会に臨んでは、のんきそうに冗談を飛ばして指導していった。これは、一見、時代離れした挙動にさえ見えた。
だが、彼は、決して時代の潮流を避けていたのではない。このような社会情勢の中で、誰人も夢想だにしない広宣流布をめざし、日蓮大聖人の仏法の真髄を、いかにして人びとに納得させるかに、心を砕いていたのである。しかも、飽くことなく、連日、説き続けることが、彼にとっての、時代変革の戦いであった。
一切の活動の根底に、この大宗教を置く以外に、本源的な解決はできないことを知悉していたからである。
時代の大きな渦は、結局のところ、自身の足元から始まっている。それがかけ合わさって、何か得体のしれない大きな流れのように感じるものだ。しかし、大事なのは、個である。一人ひとりである。時代の変革とは、一人ひとり人間革命であることを戸田自身は知っているからこそ、着実な一歩一歩を進めていくのである。
何ものにも動じず、泰然自若としていた。だが、激しい潮流のなかで、足を踏みしめていくには、強い勇気と信念を必要としていたのである。
潮流は、彼の身に当たっては砕け、飛沫を飛ばして、また流れていった。しかし、大信力は、一人で時代の潮流に逆らい、それに完全に耐えていたのである。
とはいえ、当然、焦りもあっただろう。時代を、世界を変革しなければならないとの使命に立つとき、一刻も早く成し遂げなければならないと思っていたに違いない。しかし、そこを焦らず、時を待ちながらじっと歩みを進めていくことは容易ではない。
ー民主主義社会の直接的な建設が、当面の重大問題である。学会の信心活動は捨てないまでも、今は第二義的に考えるべきではないか。
このような質問を受けた時、戸田城聖は、おそろしく深刻な、真面目な表情になった。
「君たちの心がわからない、僕と思うか」(中略)
「かわいい弟子たちが、生活のために、一生懸命に戦っている。愛する君たちのために、僕が必要だというなら、ぼくは、デモの先頭に立って、赤旗でもなんでも振るよ。しっかり、自由にやりたまえ。
しかし、それで一切が解決するように思いこんでいるが、それは錯覚だ。妙法による本源的な解決から見れば、何分の一、何百万分の一の解決でしかない。だが、ともかく戦う以上、勝たなければならない。どうなろうと、題目をしっかりあげ、御本尊様に願い切ることが、一切に花を咲かせていく究極の力であることだけは、瞬時も忘れてはならない。そうでなければ、信心している価値がない」
世間の流れは、民主主義の直接的な建設こそが、重大事項であると思っている人たちが大半であっただろう。学会活動は二の次であると考える人たちも多かったに違いない。こういう人たちに、戸田は「そんなことをするべきではない」「反対だ」と言っているわけではない。「必要ならば私も手伝う」と言っている。最後は、「御本尊に祈り切ることである」と信仰に帰着させていることが大事である。どんな状況、どんな事も、全て信仰で見ていくこと、信仰で挑戦していくことが真の信仰者なのだと思う。
「経済の闘争にしろ、政治の戦いにしろ、結局は妥協で片がつく。もちろん、これらが当面の生活問題として、大事なことは当然だ。だが、それだけでは、大波の上の小船のようなものとなってしまう。
われわれの広宣流布への戦いは、大波を静穏にし、船舶を安心して運行させる戦いなのだ。したがって、宗教革命という、妥協のない、厳しい、次元の異なった、根本的な戦いをしていくのだ。
いずれ、みんなも、それがはっきり、わかる時が来る」
宗教革命ーすなわち、人間革命のことであろう。一人ひとりを変革させていくことを指している。これほど、難しいものはないのだと改めて思う。
よく考えてみると、人間の性格や宿業をはじめとして、一家の家庭の問題や生老病死など、解決できない問題の方が、意外に多いものだ。
社会といっても、また大衆といっても、あるいは労使と分けても、所詮は一個の人間から始まって、その集団にすぎない。ゆえに、この一個の人間の問題を根本的に解決し、さらに全体を解決できる法が大事になってくる。それは、真実の大宗教による以外にないんです。(中略)どうやっても、こうやっても、だめだと分かった時、やっと、大聖人様の仏法のすごさというものが、しみじみと分かってくるにちがいない。
民主主義では決して人間の性格や宿業を取り去ることはできない。一家の家庭の問題や生老病死においても同様であろう。根源的な悩みの解決には、必ず正しき宗教が必要なのである。そして、変革しうるだけの力のある宗教が必要である。それが、日蓮大聖人の仏法なのだと喝破されている。
われわれの戦いは、今、こうしてコツコツやっているが、すごい時代が必ず来るんだよ。ゼネストなんか、今、諸君は大闘争だと思っているかもしれないが、われわれの広宣流布の戦いから見れば、小さな小さな戦いであったと、わかる時が、きっと来る。私は断言しておく。皆、しっかりやろうじゃないか
しかしながら、コツコツとやっていることが、どのぐらい凄いのかは、本当の意味で、戸田にしか分からなかったであろう。しかし、その時は必ず来るのだと断言されている。
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