人間革命2巻の地涌は、初めて山本伸一が登場する。そして、戸田城聖と出会う。この出会いから、創価学会は本当の意味で大きな船出をし始める。
「創価学会は人材を持って城となす」と言われている。その根底は、組織が小さかろう、大きかろう変わらない。最後は「人」なのである。
前章での教団での論争対決から、地道な折伏に足を運ぶようになる。その足を運ぶ友人の一人が「山本伸一」なのであった。
当時の青年は、知識をどん欲に吸収していく意欲がすごい。しかしながら、何か虚無的であり、知的作業と生活とが乖離している状態だったのではないだろうか。
青年たちは正しき人生の哲学を求めていたに違いない。
しかし、そのどれが正しいのかが分からないでいた。知的領域だけでは決められなかったのではないだろうか。
この部分は、赤裸々に書かれていて面白い。山本伸一は、のちの創価学会の三代会長になる人間であり、著者自身のことである。もしも仮に、ここで山本伸一がこの会合に出席しなかったとしたら、創価学会の発展はなかったかもしれない。仏法の眼からすれば、この時の胸部疾患は、広宣流布を妨げようとする魔だったと見ることができる。
私自身も経験としてあるが、学会活動の中の会合や打ち合わせなど、物凄く行きたくない時がある。しかし、そんな時、重い腰をあげて参加すると、自分にとって大きな転換点となる会合になることがある。この不思議な運命的な力を感じるか否かが、信仰の力なのではないだろうか。
「この世から一切の不幸と悲惨をなくしたい」これこそが、戸田自身の想いである。そして、全世界の誰もが感じている願いが達成できる思想こそが、創価哲学であり日蓮大聖人の仏法なのである。
戸田は山本伸一に対して、何とも言えない親近感を感じていたのだろう。人は、時に会ったその日、その場で仲良くなる人がいる。それは過去世に巡り合っていたのではないかと思うぐらいである。そういう友人とは、意外と最初の出会いを覚えていないことが多い。生命というものが過去世、現世、未来世と続き、宿縁で巡り合っているのではないかと感じる瞬間である。
そして、山本伸一は戸田に自身の悩んでいた質問を聞いてみる。ここでは少々長いが、戸田の回答をまとめてみた。
この箇所は、私たち創価学会員が信心をするすべての根幹であると言えるだろう。また、信仰をするということ、宗教を信じるということは、この難問を解決するため言ってよいだろう。そして、それは理論や観念で分かるものではいない。体験するしかないからこそ、戸田は「大聖人の仏法を実践してごらんなさい」と喝破されているのである。
「正しい人生とは」に続き、「愛国者とは」「天皇とは」について聞いている。そして、山本伸一は、戸田に対して以下のように思う。
この時の山本伸一は、まだ仏法、そして三世の生命観をしらない。しかし、言葉に表しつくせない戸田への魅力を感じ取っているのである。そして、この人ならば付いていけるかもしれないと思うのである。
人はともすれば、「この人のためなら自分の人生をささげたい」と思える人と出会えることは稀かもしれない。そんな人に出会えることほど、最高の人生であると言えるのではないだろうか。
一方で、創価学会へ入会することを束縛と感じ不安と捉えている。また自身の体調を危惧している。しかし、ここで気づくのは、伸一は自身の生活を良くしようとか、自身の病を治そうということで、創価学会に入会したわけではないという点だ。「入会の手続きなど、どっちでもよかった。」とあるように、すべては戸田城聖の魅力であったに違いない。入会して束縛を感じるよりも、戸田という人物への想いが勝っていたのである。
伸一と同じように、戸田も同様にその宿縁を感じていたのである。
法華経化城喩品第7には、「在在諸仏土常与師俱生」とある。聖教新聞の用語解説では、「在在[いたるところ]の諸仏の土に|常に師と俱に生ず」(法華経317㌻)と読み下す。最初に法を説いて下種した師匠と、下種を受けて結縁した弟子は、あらゆる仏国土にあっていつも一緒に生まれると説かれる。
この戸田と伸一の出会いは、法華経に明確に説かれているように、我々と、我々の師である池田先生とが巡り合うことは、決して偶然ではなく必然であるのだ。