人間革命2巻、最後の章は「車軸」である。創価学会は、戦後、時間をかけながらも徐々に大きくなっていく。しかし、大きくなればなるほど、その中心点のブレは許されなくなる。その中心とは、戸田であるものの、戸田と共に学会の中核の幹部陣である。この戸田と幹部との呼吸こそが要である。本章を通して、創価学会のリーダー、幹部にはどのような軸が必要なのかが明確に記載されているのではないかと思う。
「断じて戦争はあってはならない」との信念は、創価学会の永遠不滅の精神である。それは、人間革命1巻の冒頭から貫かれ、現在においても貫かれている。今年2月に勃発したロシアのウクライナ侵攻においても、創価学会青年部が声明を明確に出している。
日本の宗教団体の中のウクライナ侵攻に対する初期対応を簡単にまとめてみた。
幸福の科学:書籍「ウクライナ侵攻とプーチン大統領の本心」出版(2022年3月10日)
浄土真宗本願寺派:「ロシア連邦によるウクライナ侵攻に対する声明」(2022年3月8日)
浄土宗:「ロシアによるウクライナ侵攻に関する声明」(2022年3月2日)
立正佼成:「ウクライナ情勢に関するメッセージ」(2022年3月12日)
高野山真言宗:「ウクライナの事態に関する宗務総長声明」(2022年4月26日)
日蓮宗:「ロシア連邦によるウクライナ領域内への侵攻に対する声明文」(2022年2月25日)
天理教:「天理教から皆さまへ」(不明)
霊友会:特になし
顕正会:特になし
真如苑:「廻向法要にて苑主 ウクライナ侵攻犠牲者に廻向の祈り運ぶ」(2022年3月4日)
佛所護念会教団:特になし
パーフェクトリバティー教団:特になし
これを見てみると、日蓮宗が最も早くに声明を出していることが分かる。しかし、ここで注目すべきはその内容である。各宗派で出されている声明には、基本的に「ロシアがウクライナに侵攻」と書かれている箇所が多い。意一方、創価学会青年部の声明は、ウクライナ情勢に触れつつもロシアについては記載されず、「即時停戦」を求めていることである。どちらの国の善悪には触れず、とにかく、「停戦を」というのが、創価学会青年部の主張である。そして、注目度は最も大きかったのではないかと思う。筆者が創価学会員であるため、そこのバイアスが掛かっているとはいえ、創価学会の機関紙である聖教新聞の影響は、少なくとも他の宗派に比べれば、影響は大きかったのではないかと思う。
先ほどのウクライナ情勢への声明を見ても、創価学会の主軸は絶対にぶれてはいけない。そして、社会への責任という意味も含めて、戸田が「ダイヤモンドのように硬く、絶対に壊れない車軸」をつくろうとしているように思えてならない。それが、日蓮仏法の本来のスタンスであり、永遠に変わってはならない創価学会のスタンスなのだと思う。
私たちは、時あるごとに「異体同心の団結」という言葉を使う。それが団結の本来の姿であり、最も分かりやすい言葉であるからだ。しかし、ここで戸田は、この異体と同心の意味に触れて、具体的に述懐している。
「異体とは、各自の境遇であって、自己の個性を最大限に生かす生活。」
「同心とは、信心、そして広宣流布という目的への自覚だ」
異体は、「個性を最大に生かすこと」であり、同心は「信心の自覚」なのだ。
戸田の「将来の発展のため」と「発展してから、その先のことまで」とあるが、この考えを実現してきたのは、言うまでもなく、本書では山本伸一であり、池田先生であることは間違えない。そして、その戸田先生と池田先生の師弟間には、毛筋一本もの差はない。差がないからこそ、ここまで戸田先生の意思を小説「人間革命」という形に残せるのである。しかしながら、当時の状況の中で、戸田は念を押すしかなかったのだろう。本当の意味でこのことを理解してくれる幹部がいないと気づいて気づいていたのだと思う。
誤れる宗教について言及されているのは、当時の状況からであろう。それよりも、「正法は~」というところからが最も重要であると思う。昨今の日本の宗教問題は、まさに「宗教のための宗教」「企業化した宗教」という部分に当てはまるのではないかと思う。本来、宗教の役割を改めて見直していかなければならないのかもしれない。その意味でも、次の部分は、現在の創価学会において、一度点検しなおす必要があると思う。
「幸福になるためのものでなくてはならない」ここを絶対に外してはならない。
この惰性ほど怖いものはないと思う。それは、次への発展や成長への停止であるからだ。そして、それ全体感から戸田は感じ取っていた。これは、真の信仰者として前を向き続けるものにとっては、感度が良くなるのかもしれない。
この戦前と戦後において、時代の流れから戸田は、実践活動のスタイルを変えている。そして時代に合ったものに変え、信心と理性を重視したのである。
これは、個人的な意見であるが、現在の創価学会も創立100周年を目前にして、この実践活動の見直し、転換点なのではないかと思う。
それは、「時代の変化」に伴う「価値観の変化」が主にあると思う。戦前、戦後のように衝撃的な転換ではなく、じわじわと転換してきているのを現場は沸々と感じている。そして、コロナ過があったことで、それが加速度的に見え始めてきたと思う。これをどう対応していくかは、創価学会においての難題中の難題だと思う。しかし、そのヒントとなるキーは、キリスト教やイスラム教と言った世界宗教の観点から、アナロジカル的に学ぶことでは無いかと思う。そこに、この見えない閉塞感を打開する鍵があるのではないかと私は思っている。そのあたりを池田先生は「スコラ哲学と現代文明」と題し、創価大学で講演したことで、今後の創価学会を創大生に託したのではないかと思っている。
この部分は、前章で戸田が東京に上京してきた時に、親せきから見た目で煙たがられるシーンと重なる箇所である。
前代未聞の広宣流布を進めるうえで、戸田の苦労は、想像を絶するほどの苦労があったに違いない。自分も構想は練りつつも、自分自身の人生の時間は待ってくれない。だからこそ、同じ決意に立てる幹部が欲しかったのであろう。一刻も早く、本物の後継者を見つけたかったに違いない。その葛藤をこの章ではヒシヒシ感じた。