小説「人間革命2巻」④~前哨戦~
人間革命2巻の「前哨戦」では、戸田に薫陶を受けた創価学会青年部が、ある教団に乗り込み、破邪顕正の言論を示してくる。仏法の偉大さ、生命哲理を知った青年たちの人びとを救いたいとの思いからの発露である。しかし、一方で、その傲慢さを戸田に一喝される。ここでは、邪義を放つ相手に対して、どのように接していくべきなのか、すなわち創価学会における折伏行とはどういうことなのかが、はっきりと分かる章である。
1946年ごろは、日本において戦後まもなくであり、多くの宗教団体が建立してきた。本書にもあるが宗教の戦国時代と呼べるであろう。本来の宗教の行きつくべき、最終目標地点は、「人々の幸福」であることは間違えない。しかし、邪義を構えながら、人びとを不幸に陥れる教団もあった。その正邪が、わかっている青年たちからすれば、黙っていられないのは、彼らの若さゆえの正義感とも言えるだろう。
「迷信じみた教えを説く教団」と「世界宗教」の特徴が明確に示されている。この記述を照らし合わせた時、創価学会は「世界宗教」に値する。
私自身、一時期、他の新興宗教の方と付き合う時期があった。その中で、驚いたのは、「創価学会は御利益信仰である」と言われたことだ。確かに功徳を得ていくことは創価学会の考えとしては強い。一方で、自身が幸せになることで他者も救っていこうとも考えもある。そして、その草の根の広がりが世界の平和につながっていくと考える。単なる自己中心的、迷信的な御利益ではないのである。
しかしながら、社会主義が広がり始める中で、宗教は科学に相反するものに当たり、非科学的なものとしての認識が強くなる。そして、それは現在においても変わらず広がっていることを、今改めて認識しなければならないとも思った。
戸田自身、時習館などの教育の経験から、本質的には能力差はないと考えているのだと思う。また、戸田自身の青年に対する薫陶が優れているからでもあると言えるだろう。
他教団へ行き、生命哲学を片手に論破してきたこと自体に、戸田は悲しくなったのではない。それを如何にも自分自身の力だと思い、傲慢な態度であったからだ。
そして、次の箇所が、創価学会における折伏行の根幹ともいえるのではないか。我々青年部は、この気概は忘れてはならない。
「相手からも、心から立派だと言われる人になれ」この部分にこそ、創価学会の精神の根幹である。人と人は、意見が対立することはある。そしてその意見の勝敗が大事なように見えるが、最終的には、その相手から立派だと言われることの方が、さらに大事である。ここに、非暴力の中の「調和的非暴力」が内在されている。非暴力には主に、「対立的」と「調和的」の二つがある。「対立的」とは相手の論を論破し屈服させることである。一方、「調和的」とは相手の論を認めつつも、自身の論を出しながらその間を取っていく作業とも言える。この「調和的非暴力」とはいわゆる「対話」である。この対話の中で、主義主張が異なる人たちの内側に味方を作っていくことが、創価学会の目指している世界平和の形なのである。決して、対立を起こしていくものではない。
そして、具体的に次の箇所で戸田は具体的な折伏の姿勢を通して伝えている。
教団への道場破りは、確かに正邪を正すという点では必要であると容認しつつも、それが特別な折伏行であるわけではないと喝破されている。大事なのは一人の人間が、相手の幸せを真心こめて挑戦するかどうかである。対立を強めるような形のやり方では、絶対に広宣流布は進まないのである。
青春対話の中には、「初めは偽善でも、真剣に善をめざして行動しているうちに、だんだん本物の善になっていくのだ」(青春対話2 p.148)との記述がある。この戸田の言葉と相反しているようにも見えるが、「真剣に善を目指しているかどうか」が大事なのである。個人的な経験として、「これをしたら喜んでもらえるだろう」「こういう風に言ったらカッコいいだろう」と思うことはある。この時に自分自身が偽善者だなと思うことがある。しかし、そう思う一方で、自分自身の言葉の鉄鎖として、自身も言ったからには行動しようと戒めるのである。この積み重ねが、結果的に、その時は偽善であったとしても、自身の言葉通りに自分自身が変革していくことで、本当の善に変わっていくのだと思う。けれど、その認識もなく、名誉や良く思われようとする人では、結果、行動も起こさない言葉だけの詐欺師になってしまうということである。
最後のこのシーンの戸田の一言は、会場を和ませるためのウェットな一言である。戸田先生も池田先生も、共に厳愛である。時にはるドライな場面もあれば、ウェットでその場を和ませる場面もある。すべては、そこにいる相手と周囲を気遣ってのものである。ここを見ても、一宗教団体の一教祖という神格化されたような立場ではなく、どこまで行っても庶民の中の代表であるということが伺うことができる。