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5月10日 今日を最幸の一日に

おはようございます!


勉強なんてやらなくてもどうにかなるよ!と思ってるヤツがいるが…
その通りなんとかなっちまうから人生はおもしろい!
#両津勘吉



5月10日


今日は、『コットンの日』


五(こ)ten(テン)で「コットン」の語呂合せと、綿が夏物素材としてよく使用されるため


本日のお誕生日


橋田壽賀子さん、藤あや子さん、草刈民代さん、武田修宏さん、島田珠代さん、志田未来さんなどなど


もんち的には、元Jリーガーの武田修宏さんのお誕生日

本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️



武田修宏


日本サッカーリーグ(JSL)1部の読売サッカークラブに入団


入団初年度からポジションを獲得すると、1986-87シーズンに11得点を挙げる活躍で2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。
この活躍により武田は新人王とベスト11、日本年間最優秀選手賞を受賞した。


また1987年には日本代表にも選出され、ソウルオリンピック予選に出場、第1戦のインドネシア戦で代表デビューを飾ると、この試合で代表初得点を記録した。


これらの活躍で武田は、1987-88シーズンのJSLのPRポスターのモデルに選ばれるなど新たなスター選手として扱われるようになった。


またルックスの良さやファッションセンスからサッカー以外の雑誌やテレビで紹介されるようになり、1988年1月15日の成人の日には日本テレビ系列で『サッカー青春賛歌「ストライカーへの道」武田修宏20歳からの挑戦』と題したドキュメンタリー番組が放送されるなど、異例の扱いを受けた。


日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創設に伴い読売クラブがヴェルディ川崎と改組された後も、三浦、ラモス瑠偉、北澤豪らと共に中心選手としてチームを支え黄金時代を築いた。


しかし、「ドーハの悲劇」と呼ばれたW杯アメリカ大会のアジア最終予選・イラク戦では試合終盤の81分に中山と交代で出場するも、試合終了間際の致命的な判断ミスがロスタイムでの失点につながり非難を浴びた。


引退後は日本テレビでサッカー解説者を務めている。


プロサッカー選手はチャラいってイメージは、この人からだったな〜〜。



本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように〜😍


#名言
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#武田修宏
#5月10日

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