3月23日 今日は人生最幸の日
おはようございます!
愛というのは、どれだけ多くのものを与えたかではなく、
そこにどれだけの思いやりが注がれたか、ということなのです
#マザー・テレサ
3月23日
今日は、『世界気象デー』
1950年のこの日、世界気象機関(WMO) が発足した
気象観測通報の調整、気象観測や気象資料の交換を行っている
本日のお誕生日
黒澤明さん、大沢逸美さん、七瀬なつみさん、マークハントさん、桂木亜沙美さんなどなど
もんち的には、映画監督の黒澤明さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
黒澤明
幼稚園の頃、映画を観ることは「教育上好ましい」と語る父に連れられて、よく映画見物に出かけていた。
小学校低学年の頃、気の弱かった黒澤は泣き虫でいじめられっ子だった。
3年生の時、図画の時間に描いた絵が個性的であるために他の生徒に笑われる中、担任はこの絵を褒めるということがあった。
するとそれ以来絵を描くことが好きになり、同時に学校の成績も伸びてやがて級長にもなった。
父に言われ剣道を始めたことで心身ともに逞しくなり、卒業式では総代として答辞を読んだ。
中学の在学中に同舟舎洋画研究所に通う。
1927年、中学を卒業した黒澤は画家になることを志し、美術学校を受験するが失敗した。
1936年、画業に見切りをつけた黒澤は、新聞広告で見たP.C.L.映画製作所の助監督募集に応募し、100倍の難関を突破して4月に入社した。
1942年に書いたシナリオ『雪』は情報局国民映画脚本募集で情報局賞を受賞し、『静かなり』は日本映画雑誌協会の国策映画脚本募集で1位に入賞した。
1943年『姿三四郎』で監督デビュー。
作品はヒットし新人監督に贈られる山中貞雄賞を受賞。
1950年、大映で『羅生門』を撮影。
人間不信をテーマに含む難解な作品であったため、国内での評価はあまり高くはなかった。
一方の海外では大きな反響を呼び、1951年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞 名誉賞を受賞。
その映像感覚が国際的に注目され「世界のクロサワ」と呼ばれるきっかけとなった。
1952年、東宝復帰第1作として志村喬主演で『生きる』を発表。
ヒューマンドラマの傑作との呼び声が高くベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞した。
1954年、1年以上の製作期間と大規模な製作費をかけた大型時代劇『七人の侍』を発表。
作品は大ヒットしてヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。
現在に至るまで映画史上の名作として国内外で高く評価されている。
娯楽時代活劇で黒澤初のシネマスコープ作品の『隠し砦の三悪人』を撮影し、黒澤の名を国際的に高めていった。
その後も時代劇の傑作『用心棒』や社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』などを発表し、大監督の名声を確定させる。
1971年、自殺未遂事件を起こす。
立ち直ることはできたが日本の映画産業の衰退の時期と重なったこともあり、この後は5年おきに撮るようになった。
1980年、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配して『影武者』を発表し、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。
1985年、フランスとの合作で『乱』を公開。
1988年から米ワーナー・ブラザースの製作とスティーヴン・スピルバーグの提供で『夢』の製作に取り掛かり1990年に公開された。
1990年、アカデミー名誉賞を受賞。ルーカスとスピルバーグが「現役の世界最高の監督です。“映画とは何か”に答えた数少ない映画人の彼にこの賞を送ります」と紹介した。
1995年、京都の旅館で転倒骨折。
療養生活に入るが1998年脳卒中により死去。
88歳没。
映画監督としては初の国民栄誉賞をに受賞。
本当に世界の黒澤明でしたね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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