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【2024/06/29】国立民族学博物館を専門家にガイド付きで案内してもらった話。

2024/06/29に開催された梅田羊肉串・今枝さん主催の「世の中の全てが展示されてる国立民俗学博物館に行く会~世界の全てを知っている人によるガイド付き~」に行ってきました!

当日は梅雨の季節だというのに、
ぴかぴかのいいお天気、絶好のピクニックびよりでした!

太陽の塔、映えるなぁ〜

嘘です、朝からまあまあ暑い…予想最高気温30℃、普通に溶けそう…
外を歩き回る会じゃなくてよかったです。

国立民族学博物館はクーラーが効いてるので快適!
専門家のこまいさんのガイドのもと、たくさんの展示を見ました。

こまいさんはパプアニューギニアとペルーにて、フィールドワークの経験のある方で、ガイドでは大変興味深いお話をたくさん聞けました!今回はその中から2つ「ラピタ文化の話」と「パプアニューギニアの話」について紹介したいと思います。

■ラピタ文化の話

「天空の城ラピュタ」の語源になったラピタの人たちの話。

5000年前に台湾にいたオーストロネシアの人々は、そこから船に乗って、南西方向へ、太平洋の島々を渡り歩いた人たちです。
そんな彼らをルーツのひとつに持つ(注釈にて後述)ラピタの人たちも同様に、今から1500年程前に航海しながら、様々な島に立ち寄りながら生活した人たちでした。

ラピタの人たちは、ずっと「カジノキ」という木と一緒に航海をしており、たどり着いた島で焼畑をして穀物を育てたり、また、カジノキを挿し木で植樹をして育てたりして暮らしたのだそうです。
そして数年後にカジノキが育ったら、木の繊維を叩いてタパという布を作り、交易品などで利用した、らしい。

タパの布

しばらくして島が手狭になったら、新しい島(目視で次の島が見える)を目指して…と、航海と定住を繰り返したそうです。


フィリピンからずっと航海を続けて、最終的にはペルーのインカ文明の古文書にも記載が残っているらしく、「どれだけ遠洋航海技術の高い民族なんだ…!」と思いましたが、「海流に乗っていくと、うまく行けば着く」そうで。

そうなの?

「100艘あれば80艘くらいはつく、かな?」

へぇ、思ってたより着く!

「島から島への移動1回あたりにつき、だけど。」

えっ、てことは南米に行くには、どれだけ島を経由するの・・・?

もしや、それって「リスキーダイス」振り続けるのと同じ行為では・・・?


『HUNTER×HUNTER』に登場するんだよねー、
1コほしいかも!

でも、台湾やフィリピンって日本から近いよね、
もしかして、ラピタの人たちも日本にも来ていたりするのかな?

「いい質問ですね~」
実は、彼らは基本的に海流に乗って移動するので、日本の方が、太平洋の島々より距離的にはずっと近いのですが、台湾と沖ノ鳥島の間の強い海流のせいで、オーストロネシアの人たちやラピタの人たちはどうやら日本には来ていないそうです。
そうなんだ、ざんねん…

(注釈:ラピタというのは、台湾からやってきた人たち(オーストロネシア)と、メラネシアにいた人たちが交雑し、メラネシアで発生した文化だという話もあります。)

■パプアニューギニアの話

2019年ごろ、パプアニューギニアのセピック川流域に行って研究されていたこまいさん。
人肉用フォーク(フィジー諸島のもの)の展示を前に、パプアニューギニアのある村での文化について、解説してくれました。

人肉食用フォーク、「食べづらそう・・・」と思ったが、手首をひねりながら使うらしい。

セピックより少し離れたところにある村では、隣の村との戦士同士で戦いをする風習があり、
生き残った側の戦士が倒した戦士の首から下の肉を全て食べる、という人肉食の文化があるのだそう。

ちなみに、残った首は粘土で覆って型を取って村の入口に飾ります。

ここまでの話だけでもなかなか興味深いのですが、さらに興味深い話が続きます。

それは生き残った方が相手の肉を食べることで相手を体内に取り込むことによって、やがてそれが種となって子供に宿るのだそうです。

つまり、子供は倒した相手を基にして生まれている、ということ…?
でも、村の入口にその倒した戦士の首があるんでしょう…?
それって、あり方としては、矛盾しないのかな…?


「え、それはもしその子供が首を見たら、子供は一体どう思うんですか?」

「そういうものかー、と受け入れるみたいですよ。ニューギニアでは自分と他人の境目が日本より希薄なんですね。」

ただし、倒した戦士と子供はイコールではなく、倒した戦士の力や精神力を子供が取り込んでいるようなイメージなのだ、と、こまいさんは教えてくれました。

なるほど、命懸けの戦いをした相手の強さを讃えて、その力を自身の子供に受け継いでもらう、そういった誇り高い戦士だからこその死生観、なのかもしれないな…と思いました。


こまいさん曰く、文化人類学とは、研究する地域に根差した思想・哲学によって「自分とは何か」、つまり自己形成に大きく寄与している文化はどういうものか、という問いに答えていく学問でもあるのだそうです。(注釈)
なので、オセアニアや太平洋の島々の人たちを研究する中では、彼らの持つ死生観についての研究が行われているとのこと。

「オセアニアや太平洋の島々の人たちの死生観」か…!
「死について語るバー」を主催した私としては、とても気になる…!
「日本では、なかなか予算はつかないですけどね」
世知辛いにゃあ…。

(こまいさん注釈)「文化人類学」という学問自体はがっつり西洋哲学をやっています。 「文化人類学」をはじめ様々な地域研究は、植民地支配とも密接に関係していますから、特に研究対象地の思想や文化や行動様式=哲学を、自国のものと比較してどのくらい前段階に位置しているか、みたいな見方をする人も多くいました。
ところが、そうではないと、研究先のフィールドの人達の価値観や行動様式を、西洋哲学の歴史に当てはめてしまうのは違うんじゃないか(複数の文化様式はどれかが優れていて一方的に周囲に影響を与えるということではなく、相互に影響し合っている、みたいな話です)という、構造主義というやつですが、西洋哲学の考え方や様式をそのまま世界の人々の暮らしに当てはめるのではなく、それぞれのフィールドに思想や哲学があって、それらは相互に影響しあっており、受け入れてそのまま理解、体験しようとすることが大事、みたいなのが今日の共通認識としてあるという感じです。

パプアニューギニアのイアトムルという地域の仮面。
1974年民博調査隊が行った地域で標高4000m。
電波が入らない地域、
今現在も誇りをかけた戦いを続けているという・・・。

他にも、ペルーの位置する中南米地域でヨーロッパの人々がサトウキビを栽培したことで、大航海時代のイギリスの覇権に繋がっていった話など、面白い話をたくさん聴けて、素晴らしい一日でした!

(サトウキビは砂糖だけでなく、ラム酒の原料にもなる。各国がペルーで自国民が作ったラム酒を輸入する中、フランスだけが自国のブランデー産業を守るために、ラム酒の輸入を禁じた。そのため、中南米にいるフランス人サトウキビ農家は、大量に余った廃蜜糖(ラム酒の原料)を、イギリス人農家に安価で卸した。その結果、イギリスはラム酒販売で財政が潤い、大航海時代に有利な状態で臨むことが出来た。)


まとめ

国立民族学博物館は全体をサッと見て回るだけでも、本当に丸1日かかる程の展示量があるのですが、専門家の方の話を聞きながら回ってみると、普段なら見落としてしまうような展示物が、いかなる文化・物語を持っているのか、そういった深い情報を知ることが出来て、本当によかったです!

こまいさん、ガイドをしていただきありがとうございました。
また、梅田羊肉串の今枝さん、このような会を主催していただき本当にありがとうございました、また飲みに行きます!


いやー、なかなか長文になっちゃったな…
あ!そうだ!

最後にせんでんしてもいい?

「死について語るバー@エデン難波」の第2弾が
なんと8/10の昼に開催決定となりました!
詳細はまた後日、Twitter(X)などで発表!

前回(3/31)の様子はこちらのレポからどうぞ♪

ではでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また、皆さんとお会いできるのを楽しみにしてます😊

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