落ちこぼれの不良生徒が医師になるまで
落ちこぼれ状態
前回の記事まででざっと中学受験を振り返ってみました。「親の受験」とも称される中学受験ですが、字面に起こしてみるとその「特異性」がより際立ったような感じがしました。何よりたかだか12歳の子どもがその渦中にいるというのがその特異性を更に際立たせている。
さて私は中学受験の後、シューンと燃え尽きて深海魚になったわけですが、その後の深海魚の時間は長く火が付くのに随分と時間がかかりました。その間は、とにかくゲームと漫画の世界にのめり込みました。特にゲームは当時、任天堂DSやSONYのPlayStationPortableがの2機種が競争していた時期でとにかく私もこの2つにどっぷりとつかりました。進学校にいると嫌でも高校が組んだ外部の全国模試を受けるのですが、当時は恥ずかしげもなく平気な顔して偏差値40レベルの成績を出していました。そんな深海魚時代の流れが変わったきっかけは中学3年次の進路面談でした。当時の私はもう完全に魂の底まで腐りきっていたので進路面談で、「どうするつもりなの?」と担任の先生に言われ「MARCHで良いかなって思ってます。」と言いました。しかし、当たり前ですが、偏差値40レベルではMARCHも無理です。笑われながら「え?今のままだとそれも無理だよ?わかってる?」と言われました。
進路面談の帰宅後、親からも「進路どうするの?」と言われ「もうMARCH行ってサラリーマンで良いかなと思ってる。」と言ったところ、母親がついにブチギレました。(彼女はMARCH卒)「あんたが医学部行きたいって言ったから中学受験したんでしょうが!」と普段、全く怒鳴りも怒りもしない母親に怒鳴られました。
医学部に行きたかったんだっけ?
当時の私の中ではそんな約束したっけ?医学部行くなんて言ったっけ?という気持ちでした。母親が「裏切られた」「裏切られた」と散々言うのも、要するに「医学部に行きたい」とか「医者になりたい」と私が言ったので中学受験をさせて高い学費を払って私立に行かせたんだという趣旨のようでした。
今もそうだっけ?という感じはありますが、確かに小学校の卒業式の映像を見返したり卒業アルバムを開けてみると将来の夢「医者」というのは書いてありますし、卒業式でもそれを豪語している様子が見られます。「将来は医者になります」と言った当時の気持ちはもう記憶の彼方ですが、遡って行くと、小学校低学年や保育園の頃の記録には「将来の夢」に医者という項目は出てきませんでした。ここからは私の推測になりますが、中学入試の塾に行っている頃に、理系科目ができた私に対して親がそれとなく医者になりたい我が子像を勝手に作り出したんじゃないのかなと今では思っています。
医学部に行きたい?
半信半疑のそうだっけ?という気持ちを抱きながらも何かきっかけが必要だと思い込んでいる母親は高校の1,2の年間を使って私を手当たり次第、医学部のキャンパスイベントに連れて行きました。そうするうちに私は「うーん、なんか医学部良いかも」という気持ちに次第になりました。(この私のアホさ加減には本当に今でも呆れる。)
そして、この後、どういうプロセスを経たのかはよくわりませんが、医者になって何か明確にやりたいことや目指したい医師像があるわけでも無いのに、受験生活が本格的に始まる高校2年次の秋には成績は底辺の「医学部に行って医者になる」と豪語する痛い高校生が誕生しました。(当たり前ですが、家族以外の周囲の目はそれはそれはとても冷ややかだったのをよく覚えています。)この間、どういうきっかけがあって「医者になる」という心境になったのかは正直、思い出せないですが、「医者になってどうするのか」が無い時点で恐らく、あまり深くも考えずに「とりあえず医者になってみるか」と宣言していた程度の状態だったんじゃないかと思います。
どうやって医学部行くの?ていうかどうやって勉強するんだっけ?
当時はリーマン・ショック後のデフレの真っ只中の日本では、雇用が硬いとされていた医師にさせたいと思う親は多く、結果として医学部受験はバブルじみていました。そのため、医学部入試の難易度は高く偏差値40-50程度では当然、受かりません。更に、中学入試以降、何も勉強していなかった私は、そもそも勉強ってどうやるんだっけ?状態でした。勉強するって言っても何をやったら良いの?そのレベルの状態でした。そこで当時の私はまず「医学部に受かるにはどうしたら良いか」と「大学受験ってどうやって勉強したら良いか」という情報収集を予備校や大学受験のハウツー本を読み漁ってひたすら情報収集しました。その結果、辿り着いたのが精神科医であり受験塾経営者でもある和田秀樹氏の「和田式」なる受験対策の指南書でした。
この2冊は合わせてたった2899円ですが、当時の私にとってはセンセーショナルでした。何がセンセーショナルかと言うと、「どうやって勉強すれば問題が解けるようになるのか」「どうやって勉強の計画を立てれば良いのか」がこのたった2冊に全て書いてあったからです。しかも、和田秀樹氏は今もそうですが、精神科医です。認知行動療法や人の学習メカニズムについての知見を反映させて書いているのでここには科学的根拠もあるわけです。そして、書籍の中にも実際にこの学習方法で予備校等には行かずに合格した人たちの実際の声が掲載されています。この2冊を取り憑かれたように何回も読んだ結果、当時の私は「ここに書いてあることを全てやれば受かる」と確信しました。(相も変わらず、私という人間は非常に意思決定が短絡的だなと思いますが、この本に書いてあることを全て実践したって究極、受かるかはわかりません。しかし、当時の私は何を根拠にしているのかはわかりませんが、「これやれば確実に受かる」と一人で勝手に確信していたのはよく覚えています。)
1年で医学部受験レベルまで自分のコンディションを上げて行きました。ちなみに読者の皆様の中には「落ちこぼれって言ったって、進学校の落ちこぼれでしょ?世間に比べたらまだいくらかはできたでしょ?」と思われる方もいるかと思いますが、中学3年間、ほぼ何も勉強していないというのは恐ろしいもので、外部模試では先程も書きましたが偏差値40レベルでした。英作文なんて書けませんし、殆どの科目試験はなんとなく解いてこんな感じだったっけ?と当てずっぽうで答えるようなレベルです。そのレベルからなので、端的に言えば中学3年分の教科書の復習をして全部を身に着けながら同時に受験科目を二次試験に備えて大学受験レベルまで仕上げるようなものです。気が遠くなるような量の勉強が必要になりました。(一方で、ほぼ無勉の状態からのスタートなので、やればやるだけ伸びるので、当の本人はそこまで苦がなく勉強していました。)
高校2年秋から大学受験が終わるまでかつて無いほど勉強しました。どのくらいかと言うと、例として平日であれば朝は6時に起きて7時の登校までの間に勉強し、移動時間も単語帳やリスニングやらでとにかく時間のロスが無いようにする。学校についても時間さえあればとにかく参考書を進める。学校が終われば帰宅してまた勉強。23時には寝る。食事と入浴、睡眠以外の時間のほぼ全てを勉強に費やしました。とにかく「和田式」に書いてあることを全部やれば受かると信じ切って勉強しました。その結果、今に至るわけですが、1年本気で取り組んだ結果、私は地方の国公立大学の医学部に合格しました。
合格した後
合格した後はなぜかはわかりませんが、中学受験に受かったときほどの高揚感は全く無く、とにかくここで6年勉強して最短で医師になるという何かある種の使命感のようなものを感じていました。中高時代の経験からバーンアウトのツケの生産が如何に恐ろしいかを知っていた私は医学部在学中の6年間は中高のそれとは比較にならないくらい勉強するようになりました。医学部は進級要件が厳しく専門科目の単位は一つも落とせないし、要件を満たさない者はばっさばっさ留年させられるという情報を入学して口酸っぱく先輩達に聞かされた私は、すぐに「あぁここは前と同じようなことしてたら一発アウトなんだな」と察し、常日頃から勉強するようになりました。
振り返って思うこと
まず一つは私の意思決定プロセスの短絡的な点。記事を読んでいて恥ずかしくなるが、結構、大事な意思決定が多くの場合、「なんか良さそうだから」「なんとなく」がとても多いように思う。(そしてその先がどうなるのかもあまり考えていない。)モチベーションの保ち方として、「なんとなく」っていうのは恐らくだがあまり持続し難い気がする。明確な理由付けや意義付けが自分の中にあってそれに向かって努力するというの方が人間は頑張れると思う。キャリア迷子の医師向けの記事で今でもよく読み返す記事に鈴木裕介先生のこの記事がありますが、ここではサイモン・シネック氏のゴールデンサークル理論が紹介されています。ゴールデンサークル理論はめちゃくちゃ端折って説明すると、リーダーが人を牽引する時に「why」→「how」→「what」の順に目標を立ていくと良いというもの。人はhow,whatのためにそんなに頑張り続けられないのでwhyを具体的にして、伝えることで共感を生み、共感を生むことで聞き手は感情と行動が合致しやすくなりチームに行動変容を生みやすいというもの。鈴木裕介先生の記事ではこれを個人レベルでも応用できるということで解説されています。(会員しか見れないのでサイモン・シネック氏のゴールデンサークル理論で検索してもらうのが良いかもしれないです。)
なぜそれをやるのかという理由付け、動機付けにおいて「なんとなく良さそうだから」なんてのは他の人の共感は産まないし、そもそも説明になっていないわけであって、よくこんな薄弱なモチベーションで頑張れたものだなと振り返って驚きを隠せない。そうすると今、この仕事をしているのはたまたま運良く医学部に入れるだけの学力に到達して合格できてからということになる。
もう一つは何かにドハマりすると結構、のめり込むし他のことがあまりできなくなったり、人の目をあまり気にしなくなるという点。中学受験は親の影響大なのでこれはなんとも言えないが、ゲームにドハマりしたり、はたまた大学受験にドハマりしたり、受験が終わった後も、勉強にドハマりしてみたり結構、この行動スタイルは独特のように感じられる。では逆にドハマりしていることはなぜ苦がなく続けられるかといえばこれは恐らく先程のゴールデンサークル理論のwhyで考えれば「楽しいから」「面白いから」と言えるように思う。ゲームにドハマりしたのは、色んなゲームをしたり極めたりするのが楽しいからと言えるし、底辺の成績から受験勉強して行くのが楽しいのは成績が目に見えて上がるのが楽しいからと言える。医学部に入ってからの講義を楽しいと言えるのは全く知らない世界で何を聞いても初めてのことばかりで楽しいからと言えるだろう。とすると逆説的だが、この短絡的な私の行動原理にも実は「why」の部分があって、私が大切にしている価値というのは実は「楽しい」「面白い」なのかもしれないという気付きが得られた。