わたりがに
こんにちは。
薄墨というものです。
買い物は、現代社会の生活においては欠かせない、日常生活の一部ですね。
ネットショッピングやスーパーや小売店へ行く、買い物は、現代人にはもはや、生きるためにしなくてはならない生命活動です。
これは、私がその生命活動のために、スーパーを歩いていた時のことです。
カニと目があったのです。
スーパーの食用のワタリガニと。
カニは泡を吹いていました。こちらをみて。
カニのハサミには白い結束バンドが止められていました。
足の先がハッとするほど鮮やかに青くて、ハサミは茶色に白い斑点が散っている鹿子柄。
クリーム色がかった白く平たい足をビタンビタンと翻して、浅い桶の中を這い回っています。
オスとメスで分けられて、生け捕りで売られているのですが、目があったのは活発なオスの方。
ガタガタと桶の底を蹴って、動き回っているオスの水槽です。
メスはゴムでハサミを止められてじっとうずくまっています。
その動き回るオスのカニと、ふと目があったのでした。
彼の片方のハサミはちぎれてしまっているようでした。
買って帰ろうかな?ふと、そう思ってカニの値段を確認します。
値段を書いた札のところに、一枚の貼り紙がありました。
「本日の販売は終了しました」
カニ担当の店員さんが帰ってしまった後だったのでしょう。今日はもう買って帰れないようです。
買い物を終えて外へ出たら、月が出ていました。
子供の頃、月は動いているんだと思っていました。
だって、歩いても走っても車に乗っても、建物に隠れたり、雲に紛れたりしながらも、月はずっとついてくるのですから。
私は月をちょっと眺めてから、帰路を辿り始めました。
月はずっとついてきます。
月の表面には、月面の凹みが、薄黒い影になって見えています。
地上から見ると、まるで、月の中に何か絵が作られているように見えます。
月の模様は、人によっていろいろな形に見えると言いますが、今日の月はカニでした。
片方のハサミがちぎれたカニでした。
月は、ずっとついてきます。
これが、目が合ったにも関わらず、置いて行かれたカニの恨みでしょうか。
何だか夢に見そうな気がします。
ほんのり光る月はずっと私の傍にくっついて、ずっとついてきています。
私はカニのことを考えていました。
食用として売られる、ハサミを括られて暴れたりじっとしたりしているワタリガニ。
いつぞや行った島で見た、我が物顔でアスファルトを歩くカニ。
遠い幼いあの日、川辺の石の下に慌てて逃げ込んだカニ。
月の中のカニは言いました。
「またいつか。忘れないぞ」
透明な泡を吹きながら、カニはそう言い募りました。
どうしてだか、好きにしたら?とだけ思って、そのまま、うちへ帰りました。
月はまだ着いてきていました。
道すがらの水たまりに。
窓の向こうに。
洗面台の鏡越しに。
スプーンの窪みに。
瞼の裏に。
カニは私のことを逃すつもりがないようです。
瞼の裏でカニは嘲笑いました。
「ざまあみろ」
「勝手にしろ」
返す刀でそう思って、私はゆっくり目を閉じて、眠ります。
月の光が眩しいくらいでした。でも、不思議と心地よくて…意識はゆっくり睡眠に吸い込まれていったのでした…
…以上、最近の買い物の話でした。
この記事について
ここまで読んでくださった方にネタバラシ。
この記事は、半分創作の創作されたブログです。
ここでも創作をしたいけど、短編小説だと他アプリで書いているものと変わらない。
せっかくなので、noteならではの形で、なんか創作が出せたらなあ…と考えて、こんなものを作ってみました!
「創作」「小説」のタグもつけて公表しておりますが、もし問題点などあれば消去、編集しますので、ご指摘いただけると幸いです!
蛇足
月とカニの関係性
カニと月。無関係なようで実は結構、関係性は深そうです。
有名な話ですが、月の模様を南ヨーロッパ(イタリアやスペイン)では、それがカニに見立てているとか。
「月夜の蟹」という雅な諺があったりとか。
(意味は、見かけ倒しで実質を伴わないこと、だそうです。なんでも、カニは月夜に餌探しをしないため、月夜に捕まえたカニは、身が少ないと言われていることからの例えだとか)
陸地に住むカニの中には、新月の夜を狙って海岸で一斉産卵をする種類もいるとか。
この記事で出てきたワタリガニには、月の光が強すぎるのか、満月の夜での行動は活発ではないようで、「月夜の蟹」のカニですね。
月の位置や引力によって潮の満ち引きにも影響があるそうで、そんな海に密接な月なら、人間が太陽を見て予定を立てるように、カニが月を基準にして生活をするというのも頷ける話かもしれませんね