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悲劇のヒロインではなかった、バイタリティあふれる母

もう〇〇は死んだと思って、あきらめるしかないよ

先日は頭に血がのぼって、母のことを0か100思考と書いてしまった。

しかし、よくよく考えると、それは母を悲劇のヒロインに仕立てることだなと思った。確かに、いろいろ苦労してきたとは思う。0か100思考だったら、途中で投げ出してしまうだろう。
母は違う。投げ出さずに困難に立ち向かった。

悲劇に陥った思考停止状態の人ではない。
歯をくいしばり、自分ができる精一杯のことをやってきた。

一番驚いたのは、弟のこと。
弟は、ある時期、新興宗教にはまってしまった。

弟が帰省し、熱心にサークルに入ったのを喋り出したことがあった。
私は、絶対に怪しいと思い母に告げた。
そこからの母の行動は早い。
なんとか弟を実家に連れ戻し、親戚縁者、牧師さんが説得にかかった。いったんは大人しくしていた弟だったが、ある日、またいなくなってしまった。

そのときの家族の驚き、悲しみ、絶望感。
しかし、母はあきらめなかった。
どうにか弟を救い出す方法がないかと、知人やツテをたどってあらゆる情報をかき集めた。今のように気軽にネットで検索できない時代である。

母がやっていることが、現実味を帯びているように思えず、私は冒頭の言葉をかけてしまった。母が必死なのには構わず、弟をあきらめるしかないと思ってしまったのだ。弟を探し出すことも、連れ戻すことも不可能に思った。もう死んだと思うしかない、と。

しかし、子を思う母の執念は、私の軽い一言でひるむようなことはなかった。
今までやったこともない母が、必死に高速道路を運転する練習をしたり、また親類に頭を下げて協力をあおいだり。なりふり構わずだった。

そして、とうとう弟は救い出され、今家庭を持ち子どもたちと暮らしている。

家族のためなら信念を持って突き進み、自分たちを守ってくれた母。
母はバイタリティあふれる人間であった。
一時期感情が落ち込むことがあるかもしれないが、道を切り開いて生きている。粘り強く、あきらめない精神。
その血が私にも流れているはずだ。



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