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作り手たちによって、溶かされる私

2024年3月30日、詩人アーサー・ビナードさんの講演会を聴きにいった。

アーサーさんは、日本語と出会うことで、「自分とは何か」をとらえ直したという。
英語では「I」と一つの言葉ですむのに、日本語では「私」「僕」「俺」「あたし」などなど、沢山ありすぎて、どれを使えばよいかわからなかったそう。

相手のことも「You」に対して「あなた」「あんた」「おまえ」……何を使えばよいかわからない。

今まで、アメリカで住んでいた自分は何者なのか、深く思考していった。
違う言語に出会うことは、自分を見つめなおすこと。自分を再構築していくこと。

この言葉、どこかで聞いた気がする。

☆☆☆

さとゆみさん(『本を出したい』の著者)が言うには、本を書く行為や本を読む行為によって、自分が溶けて、また違う解釈が生まれる、と。

自分の中で思考がドロドロになって、化学変化が起きて……。
違う言語、違う何かと出会ったときに、自分が溶ける。

ドロドロどろどろ。

クリエイターの考えはやはり、すごい。

私は最近、様々な本の作り手の方たちと出会って、まさに今自分がドロドロ溶かされている状態の気持ちになっている。
これから、何が生まれるか。

言葉によって何かを作り出す作り手たちは、相手を溶かす力がある。

いや、本だけではない。映画やドラマ、アニメの場合もある。
でも、それから何を生み出すかは、読者、受け手の問題である。

何か作りたい、でも何にもならないかもしれない。
自分のなかでドロドロになるだけで、何も作れずに蒸発してしまうかもしれない。何も生み出さずに、発酵しすぎて腐ってしまうかも。
思考をもっと深めるんだ。
自分のなかを掘って掘って。

すごい、面白い、などという平凡な表現だけで終わらせてはいけない。
考え続けることをあきらめない、自分をあきらめない。


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