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文章講座でも、書き方は教えてもらえない
2024年の年が明けてから、さとゆみさん(『本を出したい』の著者)や近藤康太郎(『宇宙一チャラい仕事論』の著者)の文章講座をそれぞれ受けてきた。
お二人とも、すごく素敵な方で、講座も充実していた。厳しくて、優しい方々。
あれから胸がざわざわしてしまう。
さとゆみさんは講座の終わりに、「こちら側の世界へようこそ」と、ノートに書いてくれた。
けれど私は、思う。さとゆみさんの側には私は1歩も行ってない。あちらとこちらの壁はとても厚い。ガラスみたいに、あちらの世界は見えるかもしれないが(いや、見えてないのかも)、踏み入れることさえできない。
文章講座に通っても、文章の書き方は教わることはできない。結局は、「あなたは、どう生きるのですか、どう生きてきたのですか」と、問われるのだ。
私は、のんびり生きてきた、生ぬるい人間。決してふざけて生きてきたとは思わないが、いつもふわっと流されて生きているなと思う。
先の計画も立てるのが苦手。魂を削りながら書けないし、自分の芯がない、空っぽの人間なんだ、そう思わされる。
私は、魂を削りながら書かれた本を楽しむ側の人間だ。
偉大な人と接するたびに、そう思い知らされる。打ちのめされる。いや、努力してないから、そう言うのも、おこがましい。
人生後半戦。人生やり直しがきかない年なので、途方に暮れる。
母(80代)との電話で、
「やりたいことは今のうちにやりな、人生の終わりに思い返せるから。私なんて動きたくても動けないんだから。
それにしても、小さいとき恥ずかしがり屋だったあんたが、今取材しているなんて、すごいよ。信じられないじゃない。いいんだよ、あんたはあんたで。あんたはまだ動けるし、田舎くさいところがいいんだよ」
と、最後は謎の励ましを受けた。
まだ私にも、できることはあるのだろうか。
あると信じてジタバタしよう。
あまりにも遠い次元の人と比べずに、等身大の自分が生かせる道を探すのだ。