さとゆみさんとの面談が終了して。自分の枠を越えないと
さとゆみライティング道場のアフターフォローとしての面談が終わった。
事前に記事を提出して見てもらおうと思っていたが、書けなくて悩み相談のような形になってしまった。
面談する前には、『書く仕事がしたい』(さとゆみさん著)から質問しようと思い、もう一度読み直すことに。
この本を読んで、さとゆみさんは、本当に人と濃くお付き合いされている方だなと思った。
なぜ、どうして、と深掘りしていく力も必要だが、さとゆみさんは人に興味を持ち、それも濃く関わっていこうとしている方なのだ。
私は、取材をするにしても、自分が恥ずかしいとか、自分のことが気になってしまう。
さとゆみさんに指摘されたのは、性格の問題じゃなくて、ライターの業務を怠っているということ。読者が知りたい情報を聞きにいくのではなくて、自分優先にしている時点で、仕事をちゃんとしてないということ。
痛い所をつかれてしまった。本当にそうだ。読者にしてみれば、ライター側の問題は関係ない。
自分が恥ずかしいというのは、自分が傷つきたくないということ。私は、人と人との関わりはさらっとしているほうである。それは、自分が傷つきたくないからではないか。自分と違う価値観を持っている人に、自分のことを否定されたくないから。
さとゆみさんは、取材相手に否定されてからが面白いことが聞けるのだという。
「〇〇について、△△ではないですか」と著者さんに聞いて、「いや、それは違うよ」と言われてからが、著者の本音が出るのだという。
私がお店の取材をしていることを伝えて、数が少ないのであまり価値観の違いを感じたことがないことを伝えると、さとゆみさんは
「それは、あまりこだわりを聞けてないかもね。たーこの想像を越えた取材ができてないのかも」と。
そうなのか。自分では聞いたつもりでも、自分の想像を越えていなかった。当たり障りのことしか聞けていなかったのか。
自分のことは置いて、まずは読者の存在を考える。それが仕事ということ。
さとゆみさんは、読者が知りたいだろうと思って、とことん疑問を追求していく。
聞いていると、すごい労力を払って取材対象者に迫っているのだ。さとゆみさんと私とで、実力も何もかも違うのは当たり前だが、何といっても違うのは「仕事に対する覚悟」である。
さとゆみさが「インタビューイーに深掘りして、インタビューアーを傷つける人なんていないよ、むしろ喜んでくれるはずだよ。『自分のことを、そんなに興味を持って聞いてくれるんだ』と思うはずなんだから」とおっしゃっていた。
私は何を恐れているんだろう、自分を捨てて読者のために聞きにいこう。
自分のことばかり考えていては、仕事のスタート地点にも立っていないのと同じではないか。
的確で愛のあるお言葉、さとゆみさん、貴重なお時間をありがとうございました。