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資料整理日記①

3月後半から、土日祝の日中を利用して、真崎守先生の原稿整理を細々と行っている。
雑誌や単行本に印刷された漫画作品に比べ、生原稿がその精密さや鮮やかさにおいて優っているのは論を待たない事実で、こればかりはいくら印刷技術が進歩してもどうしようもない。
だからこそ、現在においてなお「原画展」なる催しが特別な意味を持ち、輝きを放っているわけで、今回、縁あって真崎守プロジェクトで生原稿に触れられることになった幸運には、長年のファンとしてまさに感謝してもしきれない。
 
生原稿がそれだけで価値があることは前述の通りだが、その「絵としての素晴らしさ」以外にも、色々な気付きをもたらしてくれるのもまた事実で、その一つに「修正痕」がある。
所謂ホワイト修正や描き足しによる加筆等は、当然ながら印刷物からは分からないが、生原稿はそれが如実に見える。
もちろん、雑誌発表→単行本化時における修正ならば両者をつぶさに比較すれば分かるわけだが、そういうマニア的な見方をしないと分からない軽微な修正もあるし、雑誌掲載前の試行錯誤によるやり直しは生原稿でしか判らず、非常に興味深いものがある。
 
写真①は「夜盗のごとき訪れ」という作品の生原稿で、これが1969年に掲載された雑誌が写真②、その後虫プロ、朝日ソノラマ、小学館で単行本化されたものも絵は同じである。
そして写真③は、1978年の真崎守選集(ブロンズ社)での同じ部分で、3枚を比較すると、生原稿のホワイト修正が選集版のために施されたことが判る。
 
ブロンズ社から1977~1980年に掛けて出版された全20巻の「真崎守選集」において、作者は作品の内容に様々な時点修正を施している。ごく大雑把に言えば「70年代前半の過激だった内容を抑え気味にする」「喋り過ぎた部分を減らし簡潔な表現に向かう」等の変更がなされ、それはかつて真崎守の先鋭性や過激性に魅了された読者には若干の違和感を与えたかもしれないが、それが1970年代後半の作者の結論だったのであろう。
 
そして修正は、ストーリーだけでなく絵にも及んでいて、上述の通り、女性の体の線が減らされシンプルになっている。どれだけの読者が気付いたか分からない(と言うか、見比べでもしない限り殆どの人が気付かないだろう)が、真崎守はそういう細部にも拘り修正を施していた。
まこと興味は尽きない。

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真崎守ご本人とご家族の協力の元、全資料を整理しています。 日本のアニメや、マンガの土台を作る時期に活躍し、コミケの前身とも言われるグラコンを主催した真崎守の全仕事をまとめていきます。

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60年代後半から70年代を全力疾走したマンガ家の記録。

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