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資料整理日記⑤

いずれ開催される真崎守原画展に向けて、カラー原画の確認作業を実施した。
 
カラー原画の多くは雑誌表紙で、清彗社発行の「だっくす」「ぱふ」とその後釜雑誌「ふゅーじょんぷろだくと」「Comic Box」(1978年~1982年)と、野草社発行の「80年代」(1980年~1988年)が中心となる。これに単行本やまんが作品雑誌掲載時のカラー扉絵等を加えると結構な枚数になり「これは(原画展が開催されれば)なかなかの規模になるかも」と心躍るものがある。
 
そして、今回驚いたことが2点。
一つは「ぱふ」1980年4月号(写真①)の表紙原画(写真②)が他の原画(通常はB4縦)より大きなサイズ(B3横)だったこと。
 
そしてもう一つは、幻の「ぱふ」1981年2月号表紙の存在。
写真③は「ぱふ」1981年1月号に載った2月号の次号予告で、三原順の特集号ということで筆者を始め多くの読者がその刊行を楽しみに待った…が、突然の休刊で出版されなかったのである(その後、新誌名「ふゅーじょんぷろだくと」で再スタートするが三原順の特集は組まれなかった)
ここで、今回私が目にしたのは写真④のカラー原画である。これは「ぱふ」表紙の画風に酷似しているが今まで見たことがない、そして脱稿年月が1981.1と記されている。
これはどう考えても、幻に終わった「ぱふ」1981年2月号表紙のために描いたが、休刊によりお蔵入りになったものと考える他にない。
 
もし原画展が実現すれば、この絵が本邦初公開されることになるだろう。


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真崎守ご本人とご家族の協力の元、全資料を整理しています。 日本のアニメや、マンガの土台を作る時期に活躍し、コミケの前身とも言われるグラコンを主催した真崎守の全仕事をまとめていきます。

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