10月14日 完成しなかった潜水艦と不屈の技術者と
こんにちは、くらっさんです。
世の中はノーベル賞で沸いていますが、大半の研究者やエンジニアは費用削減や予算に縛られ思うように仕事ができずあがいているのではないでしょうか。
しかし、そんな日の当たらぬ奮闘が歴史を決定的に変えてしまう瞬間はきます、きっと。
なぜそう言い切れるのか?10月14日はその事が証明された記念すべき日だからです。
当時の新興国ドイツが無敵を誇った英国海軍に完勝したこの戦いを堺にドイツ海軍の快進撃が始まりました。
これを実現したのがUボートと呼ばれる潜水艦でした。そもそも潜水艦というコンセプトを確立したのはヴィルヘルムバウアーさんというドイツ人で、第二次世界大戦の序盤を決定づけたドイツ海軍の勝利の裏にはバウアーさんの苦難がありました。
彼の最大の業績は、不完全ながらも潜水艦の原型を考案した事です。決して大成功とは言えない品質でしたが、彼は1850年代に2つの手動式潜水艦を建造しました。潜水艦はまさにここに始まりました。
ブラントタウヒャー(Brandtaucher): 1850年に完成した彼の最初の潜水艦です。なんと動力は人力。二名の船員が必死になって動力を生み出し、艦長が潜水艦を操縦し敵船を自ら攻撃するスタイルです。どうもバウアーさん自身はもっと改良を加えたいと考えていましたが、彼の構想を理解しない当時のドイツ軍は公開実験に踏み切る指示を下します。そして行われた1851年2月1日の公開実験で潜水艦は強度不足により大破し、海の藻屑と消えます。バウアーさんの技術者としてのプライドはズタボロになります。
ゼーテウフェル(Seeteufel): 予算をけちるドイツ軍に愛想をつかしたバウアーさんは1855年にロシアのサンクトペテルブルクに移住し、ロシアの力を借りて2隻目の潜水艦を建造します。この潜水艦はブラントタウヒャーの2倍の大きさで、12人の乗組員を収容できました。これも実用化に至らず道半ばにして断念となりました。
バウアー氏の潜水艦は、結局日の目を見る事はありませんでした。しかし、彼の発想や試行錯誤は後の潜水艦開発者達に多大な影響を与えました。彼の努力はインスピレーションという形で後世の研究者を後押ししたのです。
当時のバウアー氏は潜水艦を実現できなかった残念な技術者という評価だったかもしれません。しかし、彼の着想の独創性と潜水艦という構想自体は後続の研究者にとって欠かせぬ踏み台となりました。
必ずしもわかりやすい功績で世間からもてはやされるばかりが技術者の評価ではありません。海の藻屑と消えた潜水艦もどきとバウアー氏の苦難が無敵のUボートを生み出し、無敵の英国海軍を圧倒しというわけですね。
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