ピロウズ
たとえ世界がデタラメで タネも仕掛けもあって
生まれたままの色じゃ もうダメだって気づいても
逆立ちしても変わらない 滅びる覚悟はできてるのさ
僕はStrange Chameleon
『ストレンジ カメレオン』 (Strange Chameleon):1996年リリース
作詞・作曲/山中さわお
※一部抜粋
僕らは間違いながら
何度も傷ついたけど
信号が何色でも
Brake なんて踏まない
壊れてもいいんだ Speed を上げてよ
壊れてもいいんだ 僕らが全部憶えてる
壊れてもいいんだ
『スワンキー・ストリート』(Swanky Street):1996年リリース
作詞・作曲/山中さわお
※一部抜粋
どんなに寂しくても誰も迎えに来ないよ
迷子の知らせ アナウンスはかからない
扉の向こうには約束なんてない
でも行こう 生まれ変わる朝が来た
『アナザーモーニング』(Another Morning):1998年リリース
作詞・作曲/山中さわお
※一部抜粋
どんな靴を履いてても 歩けば僕の足跡
立ち止まればそれまで 僕が終わる印
『ワン・ライフ』(One Life):1997年リリース
作詞・作曲/山中さわお
※一部抜粋
君の夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで
走ってきた
飛べなくても不安じゃない
地面は続いているんだ
好きな場所へ行こう
キミなら それが出来る
『ファニー・バニー』(Funny Bunny):1999年リリース
作詞・作曲/山中さわお
※一部抜粋
「落語とは人間の業の肯定を前提とする一人芸である」
立川談志は落語をこう定義した。
「業の肯定」とは何か?「忠臣蔵」を例に立川談志はこんなことをいっている。
「(四十七士をヒーローにした講談や映画とは)落語は違うのです。討ち入った四十七士はお呼びではないのです。逃げた残りの人たちが主題となるのです。そこには善も悪もありません。(略)つまり、人間てなァ逃げるものなのです。そして、その方が多いのですヨ……。そしてその人たちにも人生があり、それなりに生きたのですヨ、とこういっているのです。こういう人間の業を肯定してしまうところに、落語の物凄さがあるのです」
『あなたも落語家になれる―現代落語論其2』:立川談志著(三一書房)出版日1985/3/25
※一部抜粋
「業の肯定」こそピロウズの歌の世界そのものだと思う。
「君の生き方を君自身が認めればいい。君が君自身を生きたことを僕らが全部憶えているから」と、生きることが苦手なストレンジカメレオンにピロウズは歌ってくれた。
1991年にメジャーデビューするも鳴かず飛ばずだった彼ら。
どうあがいても売れない。プレッシャーの息苦しさに飽きた彼らは「自分たちの信じる音楽を頑なに貫く」と、インディーズ後退をも覚悟した方向性の変更に舵を切る。1997年に発表された「Please Mr.Lostman」は彼らが放った「音楽業界への遺書」だった…
しか~し!
この覚悟がバンドを取り巻く環境を徐々に好転させていくことになる。
だからといって、今現在ピロウズに一般的な知名度があるとはいい難い。またこれからブレイクするようなバンドでもない(失礼)。ただ表現媒体としてのバンドの意味を私に教えてくれたのは他ならぬピロウズだった。
「何故バンドでなくてはいけないのか?」その答えがピロウズのサウンドにはあった。そして何よりピロウズの“ことば”に救われた。
みんな大事なものを忘れていないか?
このバンドを知らないなんてもったいないぜ!
「最後に聴きたい歌を歌ってやる!」
これがピロウズである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?