【名盤伝説】”Deep Purple / Stormbringer” (嵐の使者)
MASTER PIECE UKハードロックバンドの雄ディープ・パープルの1974年11月にリリースしたアルバム『嵐の使者』です。
名盤『紫の炎』(1974年2月リリース)の興奮冷めやらぬ中で新作が発表されます。この頃のレコード契約は年間2枚が普通で、当時お小遣い生活をしている中学生には、そのペースにはとてもついていけませんでした。
悩み抜いたうえで厳選して購入するアルバムを、次から次へと、ある意味消費していくことなどできません。その分1枚1枚に執着があり大切に聴き込んでいくという、ある意味正しい音楽ファンの姿勢は、こんな時代を経て獲得していたっのかとも思いますが・・・。
そんな時代に聞いていたこのアルバム、バンド内では相変わらず騒動は続いていたようです。新メンバーを迎えたパープルでしたが、実力人気ともバンド内でダントツだったリッチーが、自身の好みを全面にバンドを仕切ってく様が加速していったようです。
そんな事情全く知らずに聞いたこのアルバムは、前作のインバクトが強すぎて今一つの印象でしたが、とはいえ当時のお気に入りNo.1バンドの新作に周囲でも大変な話題になっていました。
アルバムタイトル曲のM1。このグイグイくる曲調はまさにパープル・サウンドの王道。改めて聞いても、何か燃えますね^^。
パープルにしては珍しく静かな曲調で、ある意味当時のブリティッシュ・ロックの典型のようなM3。そのままクラプトンが演奏指定も良いようなナンバーです。こうしてサウンドの幅を広げていくのは全然アリだと私は思うのですが、もっとアグレッシヴなサウンドがリッチーはお好みだったのでしょうね。いい曲ですよ。
はい、来ましたザ・パープルというM5。それでもどこか洗練されたサウンド・メイクは大人になりつつあるバンドを感じます。アルバムのハイライトといえるナンバーです。
そもそも元来ミュージシャンには社会性が乏しいところがあって(偏見ですね^^;;)、自分だけでバンドが成り立つていると勘違いする傾向があります。バンド内で自分の意見が通らないことに不満を募らせるリッチーと、自分の意見ばかりを主張するリッチーに辟易としていたバンド・メンバー間の軋轢は深まるばかり。
バンドの前座としてツアーに同行していたバンドのエルフのボーカリストだったロニー・ジェイムス・デュオとリッチーは新たなバンド結成に向けて動いてしまいました。
そして遂に1975年初頭のヨーロッパ・ツアーを最後にリッチーはバンドからの脱退を発表しました。その後の事情については、こちらの記事をご覧ください。
パープルの他の作品も含めて、1970〜80年代の洋物ROCK系のミュージシャンやアルバムを紹介しています。よろしければどうぞお立ち寄りください。