【名盤伝説】”Luther Vandross / Never Too Much” 真打登場 究極のメロウヴォイスを堪能しましょう。
MASTER PIECE US出身のR&Bシンガールーサー・ヴァンドロスのソロデビューアルバム『ネヴァー・トゥ・マッチ』(1981)です。
幼い頃から地元でシンガーとして活動し、プロダクションに所属して様々なミュージシャンの作品に参加していました。1974年にはUKグラマラス・ロックの大スターデヴィッド・ボウイのアルバムにバックアップ・ボーカルとして参加、75年にはブロードウェイ・ミュージカル「ウィズ」には自身の楽曲が採用されています。
その後、ダイアナ・ロス、ロバータ・フラック、カーリー・サイモン、チャカ・カーン、トッド・ラングレン・・・数多くのアルバムに参加して、コーラス界での第一人者として活躍しています。
1976年にはコーラス・グループのルーサーを結成して2枚のアルバムをリリース。いなたいR&Bサウンドですが自慢の歌唱力を聴かせています。さらに1980年にはダンス系ポップ・グループのチェンジにボーカリストとして参加。早くソロでデビューすれば良いのにと、ミュージシャン仲間からは言われ続けていたのだそうです。まさにミュージシャンに愛されるシンガーだったということです。
そしてこのチェンジへの参加をきっかけに遂にメジャーとの契約を獲得し、ソロアルバムの制作が始まります。
長い下積み時代に培ったミュージシャンとの繋がりで、セルフ・プロデュースながら実力派のプレイヤーが集います。肝となるリズム隊は売り出し中のマーカス・ミラー(Bs)とバデイ・ウィリアムス(Drs)の鉄壁コンビ。マーカスとはこのアルバム以降もルーサーのサウンドに欠かせないプレーヤーとなります。そして知る人ぞ知る実力派プレーヤーのGeorg Wadenius(スゥエーデン出身のギタリスト。ルーサーとのセッションの後にアレサ・フランクリンやロバータ・フラック、スティーリー・ダンなどのアルバムに参加することになります。一時期、角松敏生のダンス・ミックスでは御用達でした)など。シックやロキシー・ミュージックのアルバムにも参加して、ソロでナイスなダンスアルバムをリリースしているフォンジー・ソントンの参加も注目です。
アルバムタイトル曲のM1。ミディアム・テンポでありながらこの心も体も揺さぶるグルーヴはまさに特徴的なマーカスのスラップ・ベースの為せる技なのでしょう。お洒落度MAXのソウル・サウンドですね。
続くM2も何でしょうかこのクルーヴ感、まさに大人のコンテンポラリーなNYファンクという感じです。やっぱりマーカスのスラップ格好良い~。
お待たせしました。さぁ、皆んなで踊ろというM5。マーカス・フリーク必修科目のスラップ・リフです。「お前は最高さ」ってどこかバブルな香りもしますが、こんなリズムに酔っていた時代でした。
そしてこうしたバラードが実はルーサーの真骨頂のM7。アルバムラストをこうした曲調で締めくくるが、この頃流行りました。もちろん発信元はこのアルバム。ロック系ではエアプレイを真似るのが流行りましたが、ファンク系はこのアルバムのアレンジを研究しまくり。この曲のオリジナルはバート・バカラックとハル・デイヴッドの名コンビによるもの。選曲のセンスも超一流ですね。
アルバムは大成功で、タイトル曲はUSのR&Bチャートでは1位を獲得。ダンス・クラブ部門でも4位になっています。翌年のグラミーにも新人賞、男性ベストR&Bボーカル部門にノミネートされました。新人とはいえキャリア十分すぎるシンガーですからね。ようやく陽の目を見たということでしょうか。
こうしてルーサーのソロ・シンガーとしての栄光の活動が始まります。その後もコンスタントにアルバムをリリースしていきます。残念ながら飛行機嫌いとのことで日本での公演は実現していたのでしょうか・・・
2003年に自宅で倒れて闘病生活に。2004年のグラミー受賞のビデオ・コメントでの出演を最後に2005年7月に54歳で短い人生を閉じました。葬儀にはスティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィック、アリシア・キーズなどの大物ミュージシャンが多数参加して、ルーサーの死を悼んだといいます。
マイケルやマドンナのようにスーパーセールスで誰もが知っているシンガーではありませんが、こうしたシンガーがいたということ、ちゃんと残しておきましょう。