【LIVE名盤】”George Harrison / The Concert For Bangladesh”
1971年8月1日にジョージ・ハリスンとシタール奏者のラヴィ・シャンカルが共同で主催した「バングラデシュ難民救済コンサート」のライブ盤です。当時3LPボツクス仕様の豪華版でした。日本盤の発売は1972年2月。3月にはコンサートの模様が映画化され公開されました。
1970年、当時の東西パキスタン地域を大型のサイクロンが襲い甚大な被害がでてしまいました。さらに追い討ちをかけるように翌71年にイギリスからの独立を巡って内戦が勃発し、地域に大量の難民が発生して苦しんでいました。この窮状をラヴィがビートルズ時代からの旧知のジョージに伝え、チャリティ・コンサートを開催するに至ります。
コンサートには当時のジョージの仲間が総動員されます。エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、リンゴ・スター。さらには当時アップルレコードから新人としてデビューしたバッド・フィンガーのメンバー達の他にも、ジム・ホーン(sax)、カール・レイドル(Bs)、ジム・ケルトナー(Drs) 等々・・・
参加を見送ったミュージシャンの中には、当然のように元ビートルズのポール・マッカトニー、ジョン・レノンもいました。ポールは「4人が揃うとビートルズ再結成かとの噂が立ち、コンサートの趣旨が伝わらなくなる」というのが不参加の理由だそうです。ジョンは当然のようにヨーコの同伴を求めたものの、ジョージがそれを拒否して参加を見送ったそうです。またミック・ジャガーも当時はフランス在住でビザの都合で参加できなかったとのことです。
コンサートはNYマディソン・スクエア・ガーデンで昼夜の2回公演で行われ、約4万人を動員しました。アルバムには演奏がこなれてきた夜公演の音源が多いとのことです。後に発売になった50周年記念盤『The Concert for Banglades / George Harrison and Friens』は当時未収録だった音源も含めて、当日演奏された曲が完全収録されています。
第1部の主催者からのメッセージの後、ラヴィによる17分にも及ぶシタール・セッションが行われました。そして第2部として世紀のチャリティ・コンサートが開幕します。
1-M3 ジョージのソロアルバム『オール・シングス・マスト・パス』収録。シンプルでも印象的なギター・リフから始まるロック・チューン。コンサートのオープニングに相応しい熱狂と興奮が伝わります。ジョージのボーカルも高揚感たっぷりで、とても良い演奏だと思います。
1-M6 ビートルズのゲット・バック・セッションに参加したことで一気に知名度を上げたビリーのゴスペル・ナンバー。後半のクワイアとの掛け合いに場内は大いに盛り上がります。こうした文化はアメリカだなぁと感じます。
1-M7 参加した唯一のビートルズのメンバーがリンゴというのも、彼の人柄ですかね。精一杯のボーカルを聞かせてくれています。観客はジョージとリンゴが同じステージに立っているだけで大興奮です。
1-M10 満を持してビートルズ・ナンバーの登場です。オリジナル・ギタリストのエリックのソロが聞きどころです。当時のエリックは失意のどん底状態、この時期唯一のコンサート出演で貴重なパフォーマンスの記録です。
2-M1 無念のミック不参加を補って余りある迫力のレオンのパフォーマンスです。メドレーの「Young Blood」は50年代のDoo-WopグループThe Coastersのヒット曲のカバー。陽気なオリジナルとは全く趣の異なる渋い展開はレオンのキャラクターの為せる業、いずれのカバーもこのコンサート以外では聞けないのだそうです。
2-M7 この公演の目玉ミュージシャンの一人ボブ・ディランによる演奏から。ベースはレオン、エレキ・ギターはジョージ、タンバリンはリンゴ。ここで紹介してるCD盤には未収録ですが「ラブ・マイナス・ゼロ」なども当日は演奏されていて50th記念盤には収められています。こうしてちゃんと??歌ってくれると良い曲が多いと思うのですが、オリジナル盤の自由な演奏にはついていけないことの多い私です。このアルバムがきっかけでディランの曲を聴くようになりました。
2-M9 そしてコンサートのハイライト、多分メンバー全員によるフィナーレ。ジムのサックス・ソロが心に響きます。鳴り止まない拍手と歓声・・・単なるフェスとは異なる音楽のチカラを感じる瞬間です。
アルバムはUSチャートで6週間連続2位を記録。72年の年間チャートでも16位と大ヒットとなります。同年のグラミーでも年間最優秀アルバム賞を獲得します。
当然、チャリティーも大成功でコンサートの収益は25万ドルとなりバングラデシュ孤児救済基金としてユニセフに寄付されました。アルバムも発売10日で450万ドル、総額で1500万ドルを超える売り上げとなったそうです。
ところがこの慈善事業が事前の手続きの不備でジョージの個人所得とみなされ、米国・英国ともに税務当局からジョージに多額の税金の支払いが請求されたのだそうです。さらにマネージャーのアラン・クレインが売り上げの一部を私的に流用したことも明らかになり踏んだり蹴ったり(><;)。アランはここでもやらかしてます。これが事実なら相当の輩です。この頃のジョージはこうした災難が多いです。
これだけの素晴らしい活動を支える、信頼できるパートナーの存在は不可欠だということですね。
このコンサートは後のミュージシャンによるチャリティの原型となっているような気がします。音楽は世界を救う・・・そう信じたいというか、それは真実だと私は思います。
コンサートについての詳しいサイトがあります。翻訳のようで一部誤訳もありますが・・・
ビートルズ解散後の4人の活動についての記事をまとめています。よろしければお立ち寄りください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?