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ご祝儀 9 〜わたし以外のオンナは死んで〜【連載小説】

「あのさ、さっきから思ってたんだけど、それ、もしかして……」
 千賀はあかねの鎖骨の辺りに視線を泳がせた。
「俺が、プレゼントしたやつ?」
 あかねは無言で頷いた。細い金の鎖には、ピンクトルマリンが光るハートのモチーフがついている。
「つけているとこ、初めて見た」
 彼は顔をくしゃくしゃにして笑った。 
 おととしのバレンタイン、気まぐれにチョコレートをあげた。駅ビルで買った千円にも満たないものだ。千賀は目を輝かせて喜び、ホワイトデーにはこのネックレスが返ってきた。デパートのジュエリー売り場に必ずある、有名な国内メーカーのものだ。いらないと言ったが「俺があげたいだけだから、気が向いたらつけて」と半ば無理矢理押しつけてきたのだった。渋々受け取ったが、箱に入れたままクローゼットの奥にしまっていた。「どうして今日つけてきてくれたの?」
 千賀のワインを注ぐ手が微かに震えている。
「さあね。気が向いたんじゃない」
 あかねはグラスに口をつけた。酸味が少なくて飲みやすかった。横を向くと彼が黙ってこちらを見ていた。やがてゆっくりと口を開いた。
「あかねちゃんは全然相手にしてくれなかったけど、あの頃が一番楽しかったな」
「私も楽しかった。千ちゃんの必死な顔を見るのが」
「ひどいなぁ」
 千賀は笑いながら遠い目をした。
「あかねちゃんといると、いつもドキドキしていた。それは今も変わらない」
 黙って話の続きを待った。
「あかねちゃんは俺の理想だ。珠理奈は良くも悪くも現実なんだと思う。肉じゃがを作って帰りを待つ、そういう女が俺には似合うんだろうな」
 千賀の独白めいた言葉になんて答えたらよいのかわからなかった。彼は早くもグラスを空にすると二杯目を注いだ。その横顔を眺めてみる。いわゆるイケメンではないが、爽やかでいかにも好青年といった感じだ。穏やかで人当たりも良く、癖のない性格で付き合いやすい。彼の勤める親会社は平均年収のちょっと上くらいで安定している。郊外に住む両親は元気で、五歳上の兄はおととし結婚して最近実家近くに家を建てたという。千賀という男は何かに特別秀でているわけではないが、結婚するには“ちょうどいい”のだと会社の女たちが以前評価していた。
 あかねは珠理奈が現れるまで約一年、この男と定期的に会っていた。その度に熱烈に愛の告白を受け交際を迫られたが、ついに恋愛対象として見ることはなかった。だが抱かれる場面を一度も想像したことがない、と言うと嘘になる。
「千ちゃん」
 呼びかけると彼は充血した目でこちらを見た。
「せっかくだし、お祝いしてあげたいな」「え?だって、結婚式と披露宴に出てもらうし……十分だよ」 
 自分は今、仏のような顔をしているにちがいない。
「千ちゃんが今、一番ほしいものを、私があげる」
 彼は狼狽していた。二人はしばらく見つめ合ったまま動かなかった。
 ふらつきながら近くのホテルに入った。千賀はシャワーを浴び終わるとあかねをベッドに押し倒した。「私も浴びてくる」と言うあかねを遮り「そのままでいいよ」と服を脱がせ狂ったようにあかねを抱いた。途中、彼は  潤んだ目であかねを見上げ、吐息を漏らしながら何度も「信じられない……」とつぶやいた。女神にでもなった気分だ。三回目の射精を見届けると二人は深い眠りに落ちた。

「やっぱりうちの女の子たちが一番綺麗だなぁ」
 ビールを飲みながら部長は上機嫌だった。「やぁだ、部長ったら、それ三回目ですよ」
 聡子がパンをちぎりながら笑った。
「部長のおっしゃる通りですな」
 課長はぐるりと周囲を見回すと、部長にお酌をした。
「うちの会社、給料はたいしたことないけど、女の子のレベルだけは高いからなぁ」
 係長が言うと皆がどっと笑った。
 あかねは斜め後ろの珠理奈の友人たちの席を見た。ふわふわしたパステルカラーのパーティードレスに身を包んだ若い女たちはこれといって特徴がなく、まるで見分けがつかない。
「やっぱり和服はいいな。うちは娘がいないから成人式も味気なかったもんな」
 部長があかねを見て目を細めた。紺地に古典柄のそれは華やかながらも適度に落ち着いていて、二十八歳のあかねが着ても全く違和感がなかった。「赤やピンクより素敵だわ」と、年配の着付師の女たちは手早く着付けながらそう話していた。着付けとヘアセットで一万円、ご祝儀で三万円、ここまでの交通費を入れても合計四万円ちょっとで済んだ。婚活バーで出会ったオオカワからもらった金で珠理奈を祝っているのだ。こんなところでも経済は回っている。なんだか愉快になり、にっこり笑って部長にお酌をした。
「あかねさん、ほんと綺麗すぎて残酷。これじゃどっちが主役かわからないですね」
 耳元で麻紀が楽しそうに囁いた。一回目のお色直しを終えた珠理奈が雛壇で友人たちと談笑している。黒の引き振り袖は気の毒なほど似合っていなかった。一般的に黒という色は誰にでも似合うと思われているが、そんなことはない。容赦なく人を選ぶ。
 さきほどの千賀の上司のスピーチでは、珠理奈を褒める言葉がこれでもかと登場した。「気立てのいい」「家庭的」「可愛らしい」「チャーミング」これらは容姿に褒めるところが見当たらない女に与えられる。
 千賀は後方で親戚と思われる老人たちと愉快に酒を飲んでいた。
 しばらくするとあかねたちのテーブルにやって来た。
「今日は皆様、ありがとうございます」
 彼が頭を下げると皆がそれぞれ「おめでとう」と声をかけた。
「千賀!この暑い中、あかねが振り袖着てきたんだからなにか言いなさいよー」
 ほろ酔いの聡子がからんだ。
「いや、綺麗過ぎて……びっくりした」
 千賀はあかねに視線を上下させた。その恍惚とした目は、あの晩暗闇の中で何度も見た。
「千賀、写真撮ろうぜ」
 先輩たちから呼ばれ、彼は隣の席に移った。
 部長と課長と係長は早くも真っ赤な顔をして、次期彼らの上司となる役員の男の悪口で盛り上がっていた。
「ちょっと聡子さん、あかねさん。あそこに超イケメンがいますよ」
 麻紀の指さす方に振り返ると、若い細身の男が背筋を伸ばして座っていた。離れているからよく見えないが、確かに整った顔立ちをしている。
「ほんとだ。あ、千賀の友達じゃないの」
 聡子が席次表に目を落とした。そこは新郎友人席だった。
「千賀さんにあんなイケメンの友達がいたとは。あかねさん、後で紹介してもらいましょうよ」
「私はいい。麻紀ちゃん声かけてきたら」「えー、嫌ですよ。イケメンだけど別に私のタイプじゃないし。私はもっとガッチリして男くさい人が好きなんですよ。ほら最近有名な」
 麻紀は有名なラグビー選手の名前を挙げ、めぼしい男はいないかと周りを物色する。
 その後退屈な余興が延々と続き、あかねたちは黙々と酒を飲んではさして美味くもないフレンチを口にした。珠理奈が二度目のお色直しから戻ってきた。花の装飾がふんだんに施されたピンクのカラードレスは、ウェディングドレス同様、胸の下に切り返しがあり腹が目立たないデザインである。ぽっちゃりとした腕を千賀に絡ませ、スポットライトを浴びながら登場した。一生に一度だけ、主役になれる瞬間。普段は脇役の女ほど、復讐するかのように傲慢な笑顔を振りまく。
「それでは待望の花嫁の手紙を、新婦の珠理奈さんに読んでいただきたいと思います」
 三十代半ば過ぎくらいの濃い化粧をした司会者の女性が、やや芝居がかった調子で言った。会場から拍手が沸いた。珠理奈は早くも涙ぐんでいる。拍手が止まないうちにあかねはそっと席を外した。

(10へ続く)


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