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ご祝儀  7 〜わたし以外のオンナは死んで〜【連載小説】

 退社時間に近づく頃、ユナからラインがきた。渋谷で買い物をしているのでお茶しないかとの誘いだった。ITベンチャーを退職して週三日のパートを始めた彼女は暇をもてあましているらしい。あまり気が乗らなかったが、少しだけならと返信した。その後指定された駅前のオーガニックカフェに向かった。彼女はソファ席に座っている。隣にはインテリアショップの紙袋が並んでいた。あかねは席につき、ブレンドされたハーブティーを頼んだ。
「あかねちゃん、二次会も出てくれるかと思ったのにな。会社の人たち、あかねちゃんのこと美人だって騒いでたよ。二次会来ないから残念がってた」
「あー、ごめん。用事あって。どう?楽しかった?」
「うん。社長と二人きりで話せたの。やっぱり、かっこいいなー」
 ユナは体をくねらせながら微笑んだ。
「旦那さんも素敵な人じゃない」
「旦那はかっこいいとかじゃないんだよね。落ち着くの。やっぱり、恋愛と結婚は別だし」 
 あかねはふうん、と答えてハーブティーを飲んだ。八百円もするのにひどくまずい。「そうだ、聞いてよ。あの親子、ご祝儀二人合わせて五万だったんだけど。ありえなくない?」
 ユナは目をつり上げて身を乗り出した。ヨガ仲間の主婦と娘のことを言っているのだろう。
「それ、少ないの?」
「少ないでしょ、一人三万が普通なんだから。でも六万だと縁起が悪いから、この場合、七万包むでしょ。あのババア、セレブぶってるくせしてケチじゃん。まじ、元取れないんだけど」
 あかねは彼女のあちらこちらに向いている歯を見つめた。ウェディングドレスに金をかけるなら、歯を矯正すればいいのにと思った。すっかり面倒くさくなって、適当に相づちを打った。
 
 その店は、銀座六丁目の飲食店が集まった雑居ビルの中にあった。南フランスを思わせる白いぼこぼこした壁の洒落た内装で、軽快な洋楽が流れていた。席に座ると身分証明書の提示を求められたので、あかねは免許証を出した。店員はろくに確認もせず返した。離れた席では若い女が二人、話に花を咲かせていた。やがて彼女らは二人組の男性と相席した。あかねがシャンパンを飲みながらスマホをいじっていると、店員に促され一人の男が現れた。三十代半ばくらいだろうか。あかねの前に座りにこやかに挨拶をした。食品メーカーに勤めているという男は料理をあれこれ頼み、一緒に食べようと笑った。あかねは礼を言い、ピザやパスタを食べながら男と談笑した。しばらくすると「そろそろお時間です」店員が現れ男に言った。三十分経つと男性が移動するシステムなのだという。男はさも残念そうに席を立った。入れ替わるように別の男がシャンパンを二つ持って現れた。「さっきから見てたんだ。これ、お好きみたいだから」
「あ、ありがとうございます」
 あかねは男からグラスを受け取った。四十代前半くらいの感じのよい男性だ。
「僕、今日初めて来たからちょっと緊張してるんです」
「私もです。友達に聞いて、ちょっと興味があって来ちゃいました」
 あかねが言うと、男は照れ笑いした。
「そうなんだ。いや、こんな綺麗な人がいると思わなかった。来てよかったです」
 男の左手の薬指には指輪がはめられていた。
「ご結婚、されてるんですか」
「うん、ここ既婚者も大丈夫って聞いたから」
 悪びれた様子はない。どこにでもいるような真面目そうな男である。保険会社に勤めているという彼は物腰が柔らかく聞き上手だが、あれこれ詮索してきたりもしない。三十分もしたらすっかり打ち解けていた。
「もしよければ、この近くで飲み直しませんか」
 あかねは少し躊躇ったが、男について行った。落ち着いた割烹料理の店だ。そう高級な店ではなさそうだが、小鉢はどれも美味しかった。
「喜んでもらえてよかったよ」 
 男は満足そうに頷いた。
「普段、友達とは安い居酒屋しか行かないから」
「一人暮らしの若いOLさんなら、そうだよなぁ。女の子は服や化粧品にお金かかって大変でしょう」
「切り詰めて貯金しなきゃと思うんですけどね。ボーナスもこれでほとんど飛びました」   
 飲み慣れない日本酒に酔ったあかねはプラダのバッグを片手で掲げて見せた。
「素敵なバッグだね。独身の若い女の子が、お洒落したいのは当たり前だよね」
 男は焼酎をゆっくりと飲みながら独り言のように呟いた。そして身を寄せて囁く。
「あの、こんなこと言うのは失礼かも知れないけど……」
「なんでしょう」
「少しでもあなたの力になれたらと思って、その……」 
 あかねは話の続きを待った。
「ホテル行きませんか」
 男は真面目な顔をしていた。
「あなたがあまりに魅力的だから……お小遣い渡すから、どうかな」
「え」
 さきほどまで遠慮がちだった男は、たたみかけるように言う。
「十万円、出すよ」
 酔った頭の中で、銀行の残高やクレジットカードの請求の数字が回り出した。その平凡な会社員を改めて眺めた。中肉中背、頭頂部が多少薄くなっているが、きちんとセットされていて清潔感がある。そう高級ではなさそうだが、手入れのされたスーツと靴を身につけている。
「いいですよ」 
 あかねが微笑むと、男は目を輝かせた。
 男が会計を済ませている間、トイレで入念に化粧を直した。店を出た後、「ちょっとお金下ろしてくるね」と彼はコンビニへ入って行った。すぐに戻ってくると「給料が出たばかりで気が大きくなってるみたい」と上ずった声で笑った。
「あの、僕はオオカワと言います。名前、聞いてもいいかな」
 あかねは一瞬黙った。
「ジュリナ」
「ジュリナ?」
 オオカワと名乗った男は目を見開き、オウム返しに聞いた。
「そう。可愛い名前でしょ」
「僕の娘も、ジュリナって言うんだ」
 彼は戸惑うよりもむしろ嬉しげだった。「へえ、お嬢さんいくつなんですか」
「この前、十四歳になった」
 男の目に慈悲が漂っている。きっと家では申し分のない夫であり父なのであろう。思春期の娘がいるのにこれから金を払って若い女とホテルに行くとはにわかには信じがたかった。男は手を挙げてタクシーを止めた。

 ホテルから出た後、男は十万円と別にタクシー代で二万円もくれた。「もしよければまた連絡して」と、あかねに名刺を渡した。名前の上には大手の保険会社名が記載されていた。裏側には携帯電話の番号があった。別に悪用するつもりなどないが、不用心さに驚いた。
 翌日の仕事終わり、デパートに行きなじみの服屋へ入った。前々から目をつけていたワンピースが見当たらない。店員に聞くと、完売してしまいしばらく入荷の予定はないと申し訳なさそうに言う。別の商品を勧められたがこれといって気に入ったものはなく、他の店も似たようなものだった。あかねは母親にラインをし、着物で出席するので送ってほしいと伝えた。

(8へ続く)


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