年齢と経験値はただの数字、大事なのは感受する力
インタビュー記事や曲の歌詞を読んでいると、とても感銘をうけるもの、自分を反省させられるものに出くわすことがある。
インタビューを受けている人や歌詞を書いた人に対して「あぁ、素敵な思考を持った人だなぁ。色々な経験からくる言葉なんだろうな。私もこんな大人になりたいな」と思う。
その中でも、これが若い人であると「こんな若いのに凄い!一体どんな経験をしてきているの!?」と驚いてしまう。
しかし先日、この捉え方は違うんじゃないかと思った。
私の職場には様々な年齢、社歴の人がいる。
年齢が上だったり社歴が上の人はそれなりの上の地位についているのであるが、仕事をする上で必要な基礎となる考え方や能力が全く足りていない、備わっていない人が何%かいる。
「そんな基礎のところからわからない(できない)のか...」
という気持ちを、そこそこの上位職でそこそこの給料が貰っている人に対してしょっちゅう抱かざるを得ない部下ほど不幸な人はいない。
こういう上位職の人は、他の人からどんな助言や忠告を受けてもその真意や重要なポイントが理解できないから、自分のおかしな判断でも物事を進められる権限を振りかざし、結果、部下をゴールがあやふやな樹海に連れ込んでしまう。
進んでも進んでも一向に樹海から外に出れない部下。
そのうち外に出ようという目的も見失って、自分のやることは樹海を歩き回ることである、と発想を転換しようと思い始める。
叶わない目的を追い続けることは精神的に辛いので、せめてその精神的な苦痛からは逃れようと...
あぁ、コワイ…
と、話がそれてしまったのであるが、、
この「そんなところからわからない(できない)のか...」とナゼ思ってしまうのか。そして、ナゼ上司はわからない(できない)のか、を考えてみた。
そもそもの『年齢や社歴が上の人は仕事ができる』という概念がどうして成り立つのかを考えてみると、、
①年齢が上とか社歴が長い人は多くを経験している
⇒②経験から色々なことを学ぶ
⇒③学んだ知識で幅広い考えや対応ができる
⇒④仕事ができる
多分こういう理論で考えてしまっているのだと思う。
しかし現実は①から④が生み出されていない。
じゃあナゼこのステップで進まないのか。
恐らく、、②が無いのではないか。
経験はしているが、そこから何も学んでいないのではないか。
じゃあナゼ何も学べていないのか。
恐らく、、感受する力が無いのではないか。
よくいう「アンテナが低い」のではないか。
同じひとつの出来事を経験しても各々の感じ方は違う。
それはその人の性格や思考が影響して異なる感じ方をするのであるが、
そもそもそこに何も感じない人もいる。
年齢とか社歴なんてものは、何もしなくても自動で数字が積み重なっていくものである。
女優の萬田久子さんが「年齢なんてただの数字よ」と言っていたが、まさにその通りである。年齢や社歴は知識力や人間力やを表す数字では無い。
(ちなみに、萬田久子さんがこの言葉を言ったのは、年齢を重ねても美しくいる話の中で出てきたので、今回の引用はちょっと意味合いが違うが。。)
重要なのは、年齢といった数字を積み重ねる中で『どれだけ経験してきたか』ではなく『どれだけ感受してきたか』なのだと思う。
だから、若くても素晴らしい言葉を紡ぐ人もいるし、そこそこの歳でもちょっと何言っているのかわからない(byサンドイッチマン 富澤さん)人もいる。
感受する力が高すぎる人のことを最近は『HSP(Highly Sensitive Person)』という”気質”に分類する。病気でも症状でもない。あくまでも"気質"。
このHSPは世間ではなんとなくマイナスなイメージをまとっている。
感受性が高すぎるあまり、周りを気にしすぎて自分が辛くなる点ばかりが脚光を浴びてしまっているからであろう。
しかし、この『高い感受性』はアンテナが高いということであり、自分を豊かで奥深くてコクのある人間にしてくれるものでもある。
だからマイナスなことばかりではなく、むしろ長い人生においては備わっていた方がよい気質なのではないかと思う。「ちょっと何言ってるかわからない」人にならないためにも。
これからは「年齢なんてただの数字」という言葉をしっかりと胸に刻み、年齢云々や経験云々で人を視ず、その人その人の感受力を観察してみようと思った。
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