あの時がきっかけだろう、 家族活動においての スタンス〝私が我慢して治る〟を 選択することになったのは。 私は二人姉妹の長女。 私が幼稚園生のとき 2つ下の妹が、入院した。 それに母が付き添った。 私は叔母の家に預けられた。 今思えば、ほんのひと月にも満たない期間だった。 子に恵まれなかった叔母は 母に代わり、スイミングスクールの 送り迎えや、慣れない手つきで お風呂に入れてくれたり、 内緒でバカデカい苺のパフェを 食べさせに連れて行ってくれたりと よく世話を焼いて
「毎年お盆は亡くなった友達のお墓参りに行ってて・・・」 その後の話は覚えていない。 その言葉を聞いた拍子に、 18才のある時期の私がポコッと現われた。 驚いたことは、現われたことよりも、 痛みがないことだった。 それは死や事故が連続した、ある10日間。 もしかして、そこが 私のコップの水が溢れた点だったのか。 自慢の父の浮気が原因で両親が離婚し、 母子家庭になっていた私は、 傷つくことを恐れていた。 荒れた高校生活を なんとか乗り換えたばかりの私は、 その時、人の死を