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豊川(新城市)のほとりに突然現れた遺跡
2023年、愛知県新城市内を流れる一級河川豊川の右岸の整備が行われていました。右岸に堆積した土を大規模に掘り起こしトン袋のようなものを堤防横に積み上げていて、(ああ、川が広くなるから水害が少なくなるんだろうなぁ)などと思っておりました。
そんな折の、梅雨時期の大雨で川の水位が上昇した後のことです。
「犬の散歩をしていて、犬に導かれて川に降りて行ったら凄い物があった」
と知り合い伝手に連絡をもらい、みんなで見に行くことに・・・。
それは、河川工事で土を掘り起こした所に増水した水の勢いでさらに土が洗われて出現した、「石」でした。きれいに並んで等間隔で数十m続いていました。
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この辺りは、その昔千秋氏の治めていた頃に館があったところで、千秋氏の後に冨永氏が城下町を作り「一の町」として栄えた場所だそうです。
一の町屋敷の図をみると、豊川の上流から用水を引き町の往還(道)にそって館まで水路が作られています。
流畑の所に堤とあります。
場所からして、今回現れたのはこの堤の跡ではないか?と・・・。
ざっと計算して約700年前の遺跡ということになります。
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野田を治めた冨永氏とは、冨永直郷のことで、大伴氏の直系?にあたるようです。当時の将軍の命を受けて荘司として野田館に入ったとされています。それまでこの地を治めていた千秋氏に代わってのことですが、千秋氏はここ地に用水を作り縄綯瀬の渡しを作り貴船神社を祀り町の基盤を作った初めの人物です。
そうして野田の一の町は「千秋氏」「冨永氏」「菅沼氏」と受け継がれていったようです。
そんな貴重な遺跡が出た!?
そんな馬鹿な!と思っていましたが、実際に近くで見ると、
(ああ、そうなんだな、きっと当時のものなんだな)って思います。
千郷村史にも、川の水が引くと当時の遺跡が現れると書いてあります。
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長い間の川の堆積物のせいで隠れていたようで、河川工事、大雨様様です。
ただ、これが本当に遺跡なのか、本格的な調査がいつ行われるのか?
それは、市と国と予算と価値に任せるしかないのかな、とも思います。
野田には千秋、冨永、菅沼氏の妄想にふけりながら足を運び、あれこれ思いをはせる場所が沢山あります!