見出し画像

笑えない 飯田線の思い出

もう、10年も昔のこと。当時主人は飯田線を利用して豊橋まで行き、名古屋方面に仕事に通っていた。
家の最寄りの駅は「野田城駅」、近くに駐車場を借り、車で通うのだが、飲み会ともなると迎えに行かねばならない・・・。

数少ない飯田線、名古屋から飲み会をして帰ると終電かその一本前、23時台。
「豊橋を出ました」
というメールで、頃合いを見て駅まで迎えに行く。
無事に降りてくるのは三度に一度、たいていは眠ってしまい一つ先の「新城駅」まで行ってしまう。新城駅から電話がくる
「ごめん、乗り過ごした。新城まで来て」
溜息と共に新城まで迎えに行く。

終電を待つ野田城駅

そんなある夜、飲み会の主人を迎えに行き、終電が野田城駅に滑り込むのを車の中で見ていた私は、(また寝過ごされたらたまらない)と思い、駅のホームまで出迎えることにした。
田舎の無人駅なのでホームに入ることなど造作もない。
(寝ていたら、窓を叩いて起こさなきゃ!)

止まった電車からまばらに人が降りてくる・・・・が、主人がいない!
と思いきや、電車の中で爆睡している主人を窓越しに発見!
「あ~またか!」
私はとっさに、ホームで切符を回収していた車掌さんに
「す、すみません。この駅で降りるはずの主人がそこで寝ています。中に入って起こしてくるので待っててもらえますか?」
そう叫んで、電車の中に入り
「ちょっと!野田城だよ!起きて、電車止めてもらってんだから!早く!」と主人を叩き起こした。半ば強引に引きずりおろす私の様子を、車両に残っている人がじっと見つめる。
目があってしまった・・・
同情とも、苦笑ともとれる笑顔を向けられ、
(だって、こっちは必死なんだもん。車だってエンジンかけっぱなしだし)

昼間の野田城駅

家について、こってり説教?された主人の乗り過ごし回数はそれ以後、激減したが、コロナで飲み会が無くなるまで、夜の野田駅に迎えに行くのは緊張の連続だった。

今思い出しても 笑えません