長篠・設楽原の戦い 援軍要請の場
④所作のお稽古
11月17日(日)に行われる 新城歌舞伎まで一か月を切りました
登場人物 亀姫様について
亀姫は、徳川家康の娘です。1560年駿河で生まれます。母は築山御前。
二歳の時に岡崎に移り、17歳で奥平信昌の正室となります。
1575年12月22日、家臣の西尾吉次が付き添い、新築間もない新城城へ輿入れしたと言われています。
長篠の合戦が1575年5月なので、戦いが終わってからの輿入れとなります。
歌舞伎では、既に結婚して長篠城に暮らし、信昌とともに籠城をし戦うという設定です。
このところは史実とは異なってしまいますが、歌舞伎をするうえで女性がいると舞台映えがするので・・・。また、物語としての盛り上がりを優先し、亀姫様には戦の前に長篠城に輿入れさせていただいています。
亀姫のセリフの中に、
強右衛門、そなたが城を出たあの日、これ、このようなものが野牛曲輪に落ちていたと、殿がわらわに みせてくれたぞえ・・・
「我が君の 命に代わる玉の緒の 何にといけむ もののふの道」
こなた、この手ぬぐいに 辞世を読んだのかえ?
というのがあります。
山道で気を失っている強右衛門の夢枕に 亀姫様が立つという場面です。
山岡荘八の小説の中では、強右衛門が自分の手ぬぐいに辞世を書き、それを野牛曲輪の出口の松の枝に括り付けてあったのを城の仲間がみつけ、
不器用な強右衛門の覚悟を知るという内容になっています。
歌舞伎では、信昌が見つけ亀姫と共に無事に帰ってきてほしいと願う、という設定となっています。信昌は登場しませんが、彼の想いを亀姫が伝えるという内容にしました。
亀姫役は男性です。実際に着物を着て 歩き方からの練習です。
少し体を反った方がよいかな、と色々工夫しながら頑張っています。
亀姫様は、駿河、岡崎、新城と移り住み、後に中津で、加納御前と呼ばれるようになったようです。