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一生過去に引っ張られないためにできること(事故物件と向き合って)

こんにちは、雨の日のMarÜです。

今日は、過去に二度の逮捕、さらには一度の収監を経験した僕が、また世の中に出て過去に二度と引っ張られないための生きるための力を話そうと思います。

つい先ほど、事故物件を内見してきました。2階にある一室で、部屋は三つ。元々寮だったと言われてましたが、明らかに異質な部屋達。

自立支援者が下に事務所を構える、つまりは執行猶予中の生活者達を監視するための折り箱です。

襖のような扉の奥に立たず舞う部屋では過去に2人の自殺者が出ており、特殊清掃が入っていたとしてもお金の関係で全部の家具は変えられない。

そんな場所へ足を踏み入れて感じたのは、いまだに収監されているであろう無期懲役を含む過去の工場の仲間達のこと。
ここであえて仲間という言葉を使うのは、刑務所では共に生活をする中で助け合い、支えてくれる上長たちがいるということ。
外の世界では出会うことがあまりなかったであろう人たちがいて、同じ生活を毎日繰り返しています。

朝7:15起床
朝食
その後工場へ出所
刑務作業を黙々とこなし、同じ作業を繰り返して休憩。
爪を切る曜日や体を洗う入浴のタイミングも決まっており、オヤジと呼ばれる刑務所長に指揮されて全ての行動を共にします。
立役と呼ばれる人たちは、周りに対して指示を出したり、大変な役割です。

僕が収監されていたのは長野刑務所。
2020年から数ヶ月の間だったので多くの経験はしていませんが、それでも部屋(後程詳しく話す8人まで収容できるタコ部屋)では多くの事情を抱えた人が集まっていました。
奥さんの出産に間に合わず赤無視(赤信号無視)で、執行猶予中に罪を犯すことになったもの。レイプで教え子に訴えられて収監されていた元先生(50代)、アメリカや中国に家を持つ何をしていたのか分からないがおそらく大金を手に入れるために犯罪を犯したもの。ヤクザの息子。
僕は、数ヶ月の中で2番手(二番目に部屋を仕切る係)にまで上り詰め、そこでも最後に嫌がらせを受けて懲罰を受けたのちに出所しました。

そこから転宅を繰り返し、更生保護施設のちに通常の家のある生活をしています。
そこそこの生活ではありますが、外の生活と中の生活で違うのは、外の生活ではインターネットやスマホもあり、さらには自由と愛がある。
刑務所の中では感じられない大人なった実感があります。

ずっと過去に縛られたり、医療保護入院から5年間も薬漬けで苦しんだ過去があるからこそ話せること。それは、此処にくるべきしてきた。
自分は、此処にいていいんだという実感です。

それは、たまたま秋葉原の駅で見かけたシンガーソングライターや、たまたま渋谷で出会ったストリートミュージシャンや、たまたまグレーの仕事に戻りそうになった時に出会った社員の方や、大好きな下北沢で出会った優しい人たちがいます。

だからこそ不安にもなります。こんな優しい街にいたら二度と元の荒々しさや狂気を持つことができなくなるんじゃないのかって。
この世の全てを呪い憎み、親を殺し俺に迷惑をかけて平気な顔をかけて生活してる奴らを皆殺しにしてやろうと思っていた過去もありました。

だけど、僕が選んだのはそういう道です。
普通のサラリーマンではなしえなかった何か。
自分で自由を掴むために、外に出て東京へきました。

夢を追う生活というのは楽ではありません。
たまに道を踏み外すこともあるし、苦しい生活を続けていた下積みから一気に金を持つと今までできなかったことに使ったり散財してもしまいます。

天狗になった周りに嫌われて、ハブになったり交友関係が切れる時期もありました。それは重い双極性障害が出ていたとしても仕方のないことです。

保護司の存在ですらも信じられなくなった時に、僕は親と縁を切る代わりに新しい部屋を借りて転宅することにしました。環境が悪くて此処にいてはいけないと思ったから。

世の中には自分一人の力ではできないことが多数あります。
けれども、自分以外を頼ることができない中で誰が僕を見てくれるんだろう。

昨年亡くなった黒崎真音さん(シンガーソングライター)の言葉を借りれば、「誰が今の僕を欲しがるんだろう」です。
コロナにかかり突発性難聴になり、りゅうちぇるやREITAさん(the GazettE)も続け様に亡くなって。悲しいし落ち込んだけど、その追悼の現場やドキュメンタリーを見にいけてよかった。
PTPのKさんのドキュメンタリーを昨年見に行った時に僕は絶望の淵にいたし、その時に感じたのは「家族や仲間を大切にしろ」でした。
「家族や仲間が居ない人は?」色んな疑問がありましたが、それでもみんな、ライブがあれば集まる。言葉を交わさなくても、会場にいる。

声が出せないものや車椅子のもの、街中をよく見ていると若い頃に見えなかった景色がよく見えます。僕は、不覚にも街の人たちをどこか他人には思えないようになってしまいました。

この広い都会ではみんなが自分が一番になりたいしビジネスの敵です。
そんな中で唯一言えるのは、生きるためにはできる限りのことをしないといけないということです。

ただ、同じ生活を繰り返す2年を経験して見ようとしたけどダメでした。
どこか寂しくなったり、心が不安定になり暖かさを求める場所へ出掛けてしまう。きっとホストクラブに通う女性にもその類の人はいるのでしょう。
キャバクラには縁がありませんが、それでもどこかに居場所があるというのは大変ありがたいことです。

下北沢では、一回会ったことがある大学生や歳の近い個性的な人だって覚えていてくれます。
それはエレベーターを押すときにドアを開けて譲ってくれたり、アルバイトできる歳になって髪を染めてみたりしている過去に僕がしていたような事を経験しているような仲間たちばかり。
だからもうお金を使って誰かに奢ったり、助けたりすることで地位を保たなくてもいいんだと感じました。

誰かにどこか舐められたり卑下されているような気持ちになっていたのは、きっと佐世保や地元である九州で極貧を経験していたから。
東京で生きていく中で、もはやそんなことをする必要はどこにもないのだと悟りました。

ホストやその筋の仕事をやっていて、一番困るのは見栄に対して敏感になり、それで一定のポジションを保たせたり競わせようとする事です。
それは時に閑職に追い込まれた上司や寂しい派遣のおばちゃんが渡してくるお菓子となんら変わらないのでしょう。
だって、友達や仲間だったらそんなことさせないから。

過去に秋葉原に会った某ゲームバーで、奢ったお金を返されたことがありました。
その時、僕は「客」ではなかったから。
収監される前と後でずいぶん関係も変わってしまったし嫌われるような言葉も吐かれたけど、きっとその時の自分は自分しか見ていなかったし周りを見下すような事を自然としてしまっていたのだと思います。

今でもたまに思います。お金があったら変わったのかなって。
それは、大事な事です。お金があるのとないのでは余裕も違うし、生活の質が変わってきます。
出会う人も変わるし、生きるためのすべも変わってきます。
つまり、そこにいかないと何も得られないのかそれとも今ある幸せを大切にできるのかなんだと思うんです。

大きな声では言えませんが、医者ですらも薬物中毒に侵されている人はいます。筋モノと関係を持っていることから嫌煙された人だっているし、でも、世の中そういうものです。

権力者同士は守り合っている。それは自分を守るためでもあり、メリットがあるから。
留置で何度か極道と話しましたが、皆「人を守るため」とか「寂しくてシャブをやった」と話していました。

僕は薬や人を殺めることが悪いとは思っていません。
それはそこにその人なりの理由があるから。
ただ、そこでなんらかのリスクとデメリットが生じるのも確かです。

薄命になるかもしれないし、そのことで今まで良好だった人との関係を失うかもしれない。
それでもそのエネルギーを使って何かを生み出したり、世の中に害を与えた人を消し去る人もいるってだけです。

だから僕は、そこまで深く考えるのをやめました。
自分の幸せを今後は追うことに全力を注げるし、昔の僕らみたいな若者も街で見かけるたびに思い出して嬉しくなりますから。

今日は、自分のための備忘録です。


追記
僕は生活の関係もありましたが、医療保護入院後に訳ありの物件に住むことも多く、そこでは隣人の自殺や屋上からの飛び降り自殺。
外での生活では車で7人死傷した現場に居合わせたり、ガードレールにトラックが突っ込むところを目撃したりといろいろありました。

若い頃はそれが武勇伝で済んだかもしれませんが、大人になるとそうも言ってられません。
街中で人が襲われそうになっている現場を何度も助けたあの頃とはもう違うんだなということも感じました。
次はもう見てみぬふりをするのか、それとも自分のためにしないのか。
いい格好をしたいからするのではなく、自分がそういう時に憧れていた山本キッドさんだったらどうしたのか、とか考えます。
格闘技に明け暮れて周りからチンピラに喧嘩を売られまくっていた池袋時代と違い、高級住宅街は穏やかです。このままこの暮らしについていけるのか不安だけど、そういう時に東京拘置所で手紙をくれた若い子の事を思い出します。彼は7年の刑を宣告され、それでも他の人に気を遣ったり公判の日にだけ出るシャケ弁(普段は麦飯など)や唐揚げ弁当に向かって盛り上げていました。
何もできずただ傷を埋めるために荒れて明け暮れていたあの頃ともどこか変わって変わったように感じます。

人は一人で居ても誰かの事を思ったりまたいける場所がある限り、どこか独りではないんだと感じるようになりました。

だから、刑務所へ行ったり発達障害を持つみなさんもどうか諦めないでください。
そう思える時が一瞬でも来たら、それは幸せな人生だと思える時間になるのではないでしょうか。

2024.9.27 MarÜ

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