最近できた友達
「お疲れ様です。」
スーパーで買い物をしていたら不意に声をかけられた。
その声の主は、先週から社員食堂で隣に座ってくるようになった彼だった。
きっかけはスマホの画面を覗き見されたこと。私が昼食を食べながら好きなバンドの公式サイトを見ていたところに、ちょうど彼が後ろを通りかかったのだ。
こんなマイナーなバンドのファンになど、今まで会ったことがなかった。だからすぐに意気投合した。
ボーカルの暑苦しさが好き。激しいギターやドラムと綺麗なピアノが作るピアノロックのギャップが好き。人間の弱さと汚さをカッコよく歌い上げたあの曲が好き。
そんな話で盛り上がった。初めての経験だった。
身の上話もたくさんした。彼は奥さんと3人の子供のパパで私と同い年。スーツやカバンにはこだわりがあって、人とかぶることを嫌う。好きな食べ物はパスタ。甘い物は苦手。家は我が家から車で20分ぐらい。大通りから路地に入って10分ほど車を走らせたところの一軒家。奥さんのあかりさんは出産を機に仕事を辞めて専業主婦。来月にはいちばん上の娘さん、かれんちゃんのダンスの発表会を控えている。真ん中の男の子、しょうたくんは野球を始めたと動画を見せてくれたし、いちばん下の男の子、けんたくんはまだ寝返りができない。ちなみに部署は違うが、早くこの会社を辞めたいと思っていることは同じだった。
もちろん私の話もたくさんした。
彼とは先週出会ったと思えないくらい、互いのことを知っている関係だった。大人になってからこんなに仲の良い友達ができるとは思っていなかった。だからこそ少しまずいと思った。
そんな彼とこのスーパーで会ったときと初めは誰かわからなかった。いつものスーツ姿ではなく、白のTシャツにジーパンというラフなスタイルだったからだ。
「お疲れ様です。」
と言われ、
「ああ、ご無沙汰しております。」
と返してしまった。返事をして顔を上げてから彼であることに気づいた私は、くだけた口調で言った。
「なんだ、誰かと思ったよ。」
彼は笑いながら応えた。
「こっちも初めは見たことあるなあって思ってて、2回目にすれ違うときに岩谷さんじゃないかと思って、間違っていないか、何度か確認しちゃったよ。」
どきりとする。どうやら後をつけられていたらしい。見られている最中、自分が何か恥ずかしい行動をしていないか少しだけ気になった。
「今日は夕飯の買い物?」
私は彼に質問した。
「そう。妻と子供たちも一緒にね。今はお菓子コーナーで悩んでるかな。岩谷さんは?」
「私も妻と買い物。今日は家で焼き肉でもしようかと思って。」
「ああ、土曜だしね。」
そんな他愛ない話をしていたら彼の奥さんと子供が集まってきた。
「パパ、お友達?」
真ん中の男の子、しょうたくんが話に入ってきた。
「お友達……でいいのかな。お仕事仲間の岩谷さんだよ。パパといっぱいお話してくれるんだよ。こんにちは、は?」
彼が私のことを紹介する。
「そんな、改まった紹介しなくていいよ。なんか恥ずかしいし。」
「いやいや、うちの家族がなんて呼んだらいいかわからなかったら大変じゃん。」
「なんだそれ。『おじさん』とかでいいよ別に。」
そんな軽口を叩いている間も、しょうたくんは彼や彼の奥さんにしがみついたり話しかけたりしていて、話なんて聞いていなかった。
お姉ちゃんのかれんちゃんはしっかりしており、
「岩谷さん、こんにちは。」
と物怖じせずにはっきりと挨拶をしてきた。それも丁寧なお辞儀付きで。「岩谷さん」だなんてかしこまられると恐縮してしまう。
私は彼女につられて丁寧にお辞儀を返す。大人失格だ。
「こんにちは。かれんちゃんは良い挨拶ができてすごいね。」
姉が褒められたのを見て、挨拶をしてくる弟。
「こんにちは。グミだよ!」
力強く今日のおやつを見せてくる少年に、
「おっ、いいなー。」
とノリを合わせてしまう。奥さんも、人の良さそうな笑顔を浮かべながら、
「主人がいつもお世話になっております。」
と丁寧なお辞儀。かれんちゃんが誰をお手本にしているかがすぐにわかった。
「お世話だなんてそんな……。こちらがいつも話し相手になってもらっていて……。そういえば、あかりさんは体調は大丈夫ですか?夜泣きで大変だと聞いていましたけど。」
「まだ夜泣きは続いてるんですけど、今日は気分転換に。けんたもお散歩してるときは大人しいので。」
あかりさんは、ベビーカーを前後させながら答えた。
「あらー、けんたくん。お散歩してるの?いいねえ。」
子供は好きだ。思わず口調が崩れてしまう。会話をしていると、彼が聞いてきた。
「そういえば、岩谷さんは1人?もし奥さんが一緒ならご挨拶しときたいんだけど。」
「一緒に来てるけど、今は買いたいものがあるとかで、どっか行っちゃったな。こっちは1人で時間潰し中。」
正直なところ、妻にはこの場に来てほしくない。むしろ私も一刻も早くこの場から離れたい。
妻はあまり私の交友関係に触れてこない。いつも私と知り合いが話しているときは気を遣って離れてくれる。会話が終わって解散した後に、どこの誰か聞いてくる。いつもその気遣いをありがたいなと思ってはいたが、今日は特にありがたい。
「そうかー。じゃあご挨拶はまた今度かな。」
彼が言い出した。
「そうだね。まあ、またどこかで会うだろうしね。」
私が続く。解散の流れだ。今日さえ乗りきればあとはいつ会っても大丈夫なのだ。今日はダメだ。
そんな神頼みはむなしく、後方から声をかけられた。
「お待たせ。買いたいものOKだよ。」
聞き慣れた声。妻であることはすぐにわかった。肩を落としたくなる気持ちを隠し、
「おかえり。今、会社の知り合いと話してたんだ。」
と返事をした。すると妻は、彼に気付いていなかったのか、
「ごめん。もうちょっと買い物してようか?」
と申し訳なさそうに言ったが、彼は妻の合流により目的を達成できることを喜んだ。
「いや、今ちょうど岩谷さんの奥さんにご挨拶したいなって話をしてたんですよ。はじめまして。岩谷さんの隣の部署で働いている者です。岩谷さんとはいつも仲良くさせてもらってます。」
隣の部署で働いている者って、なんか怪しい言い方だな。そう思いつつ、私から妻へ彼を紹介する。もちろん、失礼のないように細心の注意を払ってだ。
「いつも話してるよね。お昼休みに隣の部署の人がって。その隣の部署の人。こちら、妻のもえです。」
あとは2人で会話をしてくださいと言わんばかりの短い説明を双方にする。人を紹介するのって難しいなと思っていたら、すぐに理解したように妻が口を開いた。
「ああ、いつも話は聞いています。うちの夫がお世話になってます。あんまり友達が多い方じゃないので仲良くしてあげてください。こんな性格なんで、会社で嫌われてませんか?」
友達が多くない?こんな性格?なんかひどい言われようだ。
「お世話だなんて、こちらが仲良くしてもらってるんですよ。嫌われてるなんて、むしろ愛されキャラですよ!」
彼の返答に、さっき私とあかりさんがした会話と同じだなと思いながら、会話の切れ目を探る。長居しても良いことはない。妻と彼のやりとりが3往復した頃に、
「じゃあ、互いに買い物もあるだろうから、また。」
と私から切り出した。少し唐突だっただろうか。いつも思うが、人との会話の切り方がわからない。彼はこちらの気持ちを察したのか、
「それもそうだ。じゃあまた食堂で。」
とこちらの提案を快諾した。こちらも、
「ああ、また食堂で。」
と返すと、彼は手を上げて歩いて行った。
不自然なところはなかったみたいだ。冷たいとも思われてないだろう。
しょうたくんが彼に続く。お姉ちゃんと奥さんが会釈をするので、
「かれんちゃん、ダンス発表会がんばってね。」
と手を振った。丁寧な2人はもう一度お辞儀をして彼らを追っていった。
彼らが去ったあと、妻が心配そうな声で聞いてきた。
「なんか嫌だった?ごめんね。」
私の気持ちを察し、謝ってくる。また気を遣わせてしまって申し訳なく思う。それに、態度に出していたつもりはなかったので、どこから読み取ったのだろうと素直に感心する。
「いや、全然悪くないよ。気にしないで。」
そう、妻は全く悪くない。悪いのは私だけだ。
しかし私は本心を打ち明けることはしなかった。だって月曜日になれば全ては解決する。そう、月曜日に彼に会えば。
だからこんなことは誰にも打ち明けなくていいのだ。
月曜日のお昼休み。私はこの日を待ちに待った。日曜日などはモヤモヤして、ときおり彼のことを考えていた。
いつもの席で彼を待つ。スマホをいじっていると隣に誰かが座った。誰かではないもちろん彼だ。
こだわりの紺のスーツ。白ではあるが普通の白よりほんの少しだけ青みがかったワイシャツ。何の柄なのかわからない高級そうなネクタイに、ピカピカに光るネクタイピン。それらがいつもどおりであることを横目で感じる。
「土曜日ぶり。奥さんも子供たちも、めっちゃかわいかったね。」
私からそう切り出し、平静を装って彼の方を向いて、首もとに目的の物を探す。
あった。確認する。わかった。
「岩谷さんの奥さんもきれいだったじゃん。今後も仲良くしてね。」
家族ぐるみで仲良くする機会なんてそうそうないだろうがと思いながら、モヤモヤを解決できたことに笑みがこぼれそうになる。にやけ顔を精一杯抑えながら、自分だけの秘密と苦しみに終止符を打つために口を開く。
「まあ、『大沢さん』の家族とまた会う機会があればね。」
そう「大沢さん」。彼は「大沢さん」だった。
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