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まともな人は「普通」じゃない
普通、という人はいないけれど、最大公約数的に多くの人はこうするという括りはあると思っていて、そういう意味での「普通の人」のハードルを私は随分下げている。普通の人は相手のためにそんなに動かないし、時間に遅れるし、痛みにもある程度健やかに鈍感だ。「でないと自分で勝手に疲弊してしまうんだよね」みたいな話を、まとも故に大変なのだろうなと感じた人にするようにしている。
昨夜は散歩仲間の女の子といつものように雑談した。女の子は「今日ショックなことがあって」と言い、「路面電車を横断するタイプの横断歩道ってあるでしょう。信号が青になったから進んでいたら、車椅子に載っている人のタイヤが路面電車が通るための溝に挟まって動きにくそうにしていたの」と続けた。そしてもちろん、彼女が手を貸すまで他の人はずっと無視したままだったらしい。彼女は半ば怒りながら「ちょっとびっくりした」と言った。すごくまっとうでまともな人だなぁと思った。けれど多分、素通りするほうが普通なのだ。今度は私が口を開く。
「ずいぶん前に友達の結婚式があったんだ。30人規模の小さな式だったんだけど、僕は仕事で式に間に合わないかもしれなかった。一応友達にはそれを伝えていて了承を得ていたけど、やっぱり式場付近に着いたのがギリギリの時間で、だからすごく走ったんだよ」
「うん」
「でもね、僕が結婚式場のドアを開く直前に後ろを見たら、遠くの方で式に参列する他の友達たちがのんびり歩いてたんだ。彼らは式に遅れたから、披露宴の時に『なんで急がなかったの』と聞いたら、『本人に遅れるかもしれないと言ったから』と言ったんだよね。僕としては、走れば間に合うなら参列席に穴を開けないほうがいいと思ったんだけど、友人たちは5人が5人とも、急がなくて良いと思ったらしい」
女の子はやはり驚いた顔をして、「急げばいいのに」と言った。私は共感しつつも、でもね、と続けた。でもそれが普通なんだと思う。
ーー私は今一緒に散歩している女の子より少しだけ先に、まともな人は「普通」じゃないと学んでいた。流石に自分のことをまともだとは思うのは傲慢だし、自己認識がそれだとむしろヤバい人だと思うので、適切な言葉は保留にしているのだけれど、彼女の反応はまともだと思うし、少なくとも妥当だと思う。
でも残念ながら、私が以前何かの不当な出来事ですごく怒って、それを当時付き合っていた人に相談したら、「あおくんの言っていることはすごくまっとうだけど、皆が皆あおくんみたいにできるわけじゃない」と言われたみたく、妥当なことは普通じゃないのだ。
そしてもちろん、倫理的な話をしたいわけではない。ただ単純に、まっとうで妥当な人はそう多くないと知っていたほうが、まとも故に躓きやすい人にとっていいんじゃないかなぁとなんとなく思っているだけなのだ。
そしてこれまた当たり前に、まともな人が常にまともってわけでもない。どうしても急いでいるときは溝にタイヤが挟まった人を素通りするだろうし、たとえ結婚式でも、仕事じゃないんだから時間通りに動かないときもあるだろう。
自分はこっち側だと思うのはやはりとても傲慢なのだ。
ーー私はそのようなことまでセットで、一緒に散歩している女の子に話した。最初は「普通の人はまともでしょう?」みたいな顔をしていた女の子も、話を聞くうちになんだかとても響いたらしく、「あおくんってなんかいいね」と言ってくれた。
彼女の言ってくれたように、私はもしかしたらある種の妥当さを持っているのかもしれない。ただ、ここまでセットで話すことで結果モテようという小狡さは、人より随分小賢しいと思う。ごめんよ、女の子。結局ただのモテたい話だったのだよ。
私は女の子と散歩を続けながら、普通の人はこんなにずるくないのだろうなぁとぼんやり感じた。月は半分満ちていて、半分欠けていた。モテたいけどモテない私の人生のようだった。少しでも月が満ちるといいなぁ。