見出し画像

結婚したら41億人いる異性と2人きりで会わないで。

「あおくんて、誰の前でも態度を変えないよね」と、目の前の女の子が言ってきた。彼女はそれまで仕事の愚痴をずいぶん話していたから、多分帳尻を合わせてくれたのだと思う。なんであれ、うれしい言葉だ。

曰く、その女の子の友人とか社会人サークルとかで年齢が離れた人と話すときに、上下や性別の如何に関わらず、私は同じ対応らしい。でも何事も表裏一体であるように、それが悪い方に転がることもある。特に私は1対1で会うのが一番好きなのでややこしさが増す。

たとえばとある女の子とお酒を飲んだ帰り道。それまでいたお店が香水の臭いがとても強くて、遅効性で急にお腹が激しく痛んだ。それがたまたま女の子の家の前だったので、私は事情を話し、5分だけ休ませてくれないかなと言った。そして実際にちょっと休むと思いがけず痛みが治まったので感謝を告げてそのまま帰った。

後日、その女の子から「気があると思っていたから、本当にちょっと休んで帰ったのがショックだった」と怒られた。当然である。

あるいは男女問わず、仲良くなりたいと思った人を一度誘ってみる悪癖があるので、こちらがフラットな気持ちでも勘違いさせてしまうことがあるらしい。私は老若男女をカテゴライズせずに、悪い意味で「ひとりの人間」として捉えているようだ。だから、本当は適切にカテゴライズして、「相手は異性だから」と遠慮するというか、閉じないといけない場面でも、普通にこころを開いてしまう。つらい。

よく、結婚したら(よりシビアな人はお付き合いしたら)、恋愛対象になる性の友達と2人きりで会わないでという話を聞く。私はけっこう嫉妬深いほうなので気持ちはとてもわかる。でも、残念ながら私自身は、世界人口の半分に当たる「異性」を、別に恋愛対象とは思っていないのだ。異性愛者ではあるが基本的に「人間」として見ていて、きゅんとしたりうっとりする女の子をただ好きになるだけなのだ。だから相手の交友関係には口を出さない。

多分、つべこべ言ってねぇでてめぇは女の子に会うな!とか、こちとらそこまで考えていないんだよ、感覚の話をしてるの感覚の!ということなのだろう。でも、恋愛関係と友情関係を同じ位に重視している私としては結構悲しいのじゃよ。「恋人>>>>>幾人かの大切な友達」がこの世の真理、というわけでもないでしょう。

結婚したら41億人いる異性と2人きりで会わないで。という気持ちはわかるし、そうじゃない少数派の私は、「わかったよ」と言うのだと思う。でも友達に会えなくなるのはすっごくつらい。正直に言うと、いっそ人類の半分を別に恋愛対象として見ていない自分のほうが、ある意味では健全とすら思う時がある。要は、100対0で駄目とかではなく、恋愛感情や友情の感情をバランスよく扱って、互いに誠実でいましょう。と思っているのだ。

だから2人きりで会わないでと強く言われると、「えっ、なら〇〇ちゃんは男の人と2人で会ったらけっこう雰囲気でどうにかなってしまうの?」と逆に心配になる。

ーー今カフェでお茶をしている、2つ年上の女の子は、それは大層嫉妬深いらしく、知り合いたての頃にした、間接的なお互いの恋愛観のすり合わせ作業時に、「もし私が誰かと付き合ったら、彼には女友達とは絶対会ってほしくない」と言っていた。まじかよ。

ということは万が一彼女と付き合ったら、私が純粋に素敵な「人」と思って遊んでいる女友達には金輪際会えなくなるのだ。“それは普通のことでしょう?”と、以前に付き合っていた女の子にも言われたみたく、それが多数派の意見なのかもしれない。個人的にはすごくもったいない気がするけど。

ーー目の前の女の子がまた愚痴の話に戻る。ネガティブの帳尻合わせとして私のいいところを教えてくれたけど、結果ネガティブな話になってしまった。相手が誰であっても態度を変えない、私の文脈では「相手を一個人として見る」長所は、ちゃんとマイナスを孕んでいるのだなとしみじみ思った。

そして、でもこんなに愚痴を言い続けているということは、多分私に対して恋愛感情はないのだなとも思った。きっと私はもう「友達」にカテゴライズされているのだ。私の架空の悩みは、ただの杞憂だった。

いつか彼女が誰かと付き合ったら、私達は2度と会うことはないだろう。期間限定の友達なのだ。さようなら、元友達。と、未来のその子にお別れを告げた。会うのはこれが最後という可能性だってあるのだ、と思って飲んだ期間限定のシェイクは、でも苦さよりも甘さが勝った。少なくとも今はまだその時ではないのだ。会える時に楽しく過ごそうと、ごくごくシェイクを飲んだ。期間限定もそう悪いものではないのかもな、と一旦思ってみることにした。みなに幸あれ。

いいなと思ったら応援しよう!