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シナ織、伝統技術の行く末

なんとこさ、2ヶ月以上も予定のない休みというものがなく。笑
忙しいことはとてもありがたいことなんですけれども…
今日久しぶりに自由に動ける喜びを感じながら暫く飲んでいないお酒を昼から飲みました。
たまにはいいねえ、自由気ままに動ける日。
自由な日にだらけるから普段がしんどくなるって思ってたけど、普段さんの現状維持機能のせいかな、って思ったからたまにはいいねえって言ってみた。はいはい。

さて、昨日は村上市の山北地区にある山熊田に行ってきました。
村上市って端から端まで60Kmちょっとあるんですけど、
村上市街地から山形に向かって北上する途中で山側に1時間ほど入って入って入って入っていくと、山熊田があります。
曲がるところ間違えるとUターンができないので20分くらい走らされます。
永遠と山道です。永遠と。途中で熊にあうんじゃないかって怖かった。
蛇にはあいました。ちょっと尻尾を踏んでしまったかも本当にごめんなさい。

永遠とこんな山


住人は40人ほど。平均年齢は70代くらいでしょうか。
ちなみにうちの夫氏が最初に移住したいと言ったのがこの山熊田。
私にはあまりにもハードルが高すぎて今の村上市街地にしてもらったの。笑
今ならわかる、その選択は正しかった。笑

そう、なんでそんな山奥に行ったかというと、この度地域おこし協力隊としてシナ織職人さんがきてくれたからなのです。
というのも以前有料で書いていたバヌトンに使う布のことで相談があったから。いろんな伝手を使って繋がれたわけです。わがままを聞いてくださって時間を作ってもらえました。ありがたい。

結論から言うと、現状では私の案は難しいと。
そりゃあそう、素人の意見ですからね。
でも、こうやって種を蒔いたら何かがあった時に思い出す存在になれるかなって思って。
ハギレが出るようなら繋いで使っても良いかもしれませんねって神のようなお言葉も頂けた。
あぁ、やっぱり職人さんってすごいね。かっこいい。
そこからいろんな話が聞けたのです。

シナ織は日本でこの山熊田、もう一つ村上の雷(いかづち)、山形の関川(せきがわ)の3箇所でしか生産していません。山熊田の織り手は現在4人。内2人は80代。とってもとっても貴重な布なの。

シナ織機


住民がシナの皮を剥いで内側をとって灰汁でコトコト煮て乾かして、川の水でふやかして糸にして・・・・と言うのを1年かけてやっているもの。
その糸を織り師が買い取って織って反になるわけです。
1年かけて糸を作ってもそれに対する報酬はわずか。それで生計を立てることは難しいからどんどん作り手は減っているのだそう。
かけた時間や技術に見あった報酬を、と言うのがその方の目標なのだとか。
夫氏とロストテクノロジーの話をしていたからとっても興味深かったです。

あとは自然染料。この地域おこしの方は元々藍染をされていた方。現在は化学染料で染めているシナ織を自然染料でできないか、とお歯黒液を作ったりしている。

お歯黒液、自然のタンニンと合わせて墨色を作る
でっっかい椎茸と、染料になる木の実(後ろの方)


自然なものに化学染料を塗るのではなく自然の力で染めたい。その熱さを感じてきました。
自然染料って、全ての植物から採れるんですって。飛び抜けて濃い色が採れるものだけが有名なだけで。なんかその話を聞いて天然酵母みたい、って思って。酵母が採れるたけじゃなくて染料にもなるなんて、恐るべし自然の力。

山熊田の人たちは聞けば聞くほどその自然に対して敬意があって、人柄が伝わってくる。
今回の地域おこしの方の前にもシナ織のために女性が単身で移住されてるの。山北の集落の中でも外からいい人が集まる場所なのです。
シナの皮取りは必要最低限だけ取るようにしているし、シナ織は年中やっているわけではなく農作業のない冬場の仕事。名産と言っても生活の一部だから生産できる量も限られてくる。
またぎでの熊狩も春先に1度ほど。熊を捕まえるために罠なんて卑怯な真似はしないんだとか。真正面から向き合うために作戦を立てて1発銃を打ち込む、とかね。
人のこと構って悪口なんか言ってる暇もないくらい自然が毎日忙しないからみなさん穏やかに過ごされているのだそう。たしかに山熊田に足を踏み入れた時もそこかしこで住民の方が外で作業しておられた。
自然主体で動く場所。
そう「ここにいる人たちって多分自分のことをワラビか椎茸だと思ってるんだと思います」って言ってたのが面白かった。
すごく素敵。自然に溶け込む、の究極。あぁ、いいなあ。

遠い〜って思ったけど、アツい人のエネルギーを沢山もらって幸せな時間でした。また行きたいな。

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