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遊び作業
幸せな暮らし、満足な暮らしが私の人生のテーマだ。言葉にすると胡散臭いけど…
その最終ゴールに必要なものが、手間暇をかけられる作業なのではないかと考えている。わたしはそれを大人の遊び作業と呼ぶ。
いつぞやの記事で、右脳と左脳の切り替えについて話をしたと思う。
今は右脳と左脳を上手に使える作業が、脳を活性化させて、脳をコントロール出来て認知症も病気も予防出来るんじゃないかって思っている。
じゃあ右脳と左脳を上手に使える作業って何かって言われたら、右脳9割左脳1割の作業なんじゃないかと思う。
編み物然り、畑然り、クルマいじり然り、園芸然り。散歩もそうだ。
あげればキリないけれど、作業自体に頭は使っていなくて、ただ感覚で身体を動かし、時折状況判断をしながら進めていく作業。時間を忘れて没頭する、それが遊びの作業だ。
その作業をちゃんと自分の好きなこととして認識して、自分のためにその作業をする事が、良いホルモンを放出して幸せで居られるのだろうと思う。その作業が出来ている平和に感謝出来て満足できるのだろうと思う。
もちろんそれが1つでなく、沢山あればいざという時に困らない。ある一つの作業をやりたい時に事情があってできなかったとしても、他で自分を満たせればいいだけの事だ。そう言う人はどんな状況でも動じずに落ち着いているし、いろんな場面で楽観的なのは、自分で自分を満たせるからなんだろうと思う。
何個も遊び作業を持っているうちに、無意識に作業の本質に気がつくんじゃないかと思う。
じゃあそんな作業をどうやって身につけたらいいのか。
その一つが手間暇をかけられる作業なんじゃないかと思う。自分の生活を振り返って、手間暇をかける事を厭わない作業があれば、それはもう遊び作業だ。ただ感覚で身体を動かすだけでなくて、そこに手間暇、丁寧さがあることが、大人遊び作業なんじゃないかと思う。
例えば、どんなに忙しくても散歩の時間は欠かせない、とか、野菜は買ってきたら一気に下拵えをして保存する、とか。花や野菜を育てる事はそもそもが月単位、年単位だったりするから手間暇だ。あと、包丁研を研ぐとか、靴を磨くとか、ミリ単位の変化に手間暇をかけるのも良い。
なんか楽しいからやる、に加えて理由があったりする。逆も然りだ。理由があってやってみたら楽しかった、もある。
自分の身体を使って景色をみたいから散歩する、とか、デジタルデトックスしたいから編み物をする、とか。
なんか分かんないけど、言う人から見れば丁寧な暮らしと言うやつになる。
それはわかっていても、続かないんだよなーって言うのが大人心。
新しく始めることは、身体が自然と動くまで否が応でも左脳優位になるし、いろんな理由をつけてやらなくなる。
それでも逆に理由をつけて続けようとする事、身につけたいと思うことって言うのが向いている作業なのだと思う。
だからそれまでは自分のしっくり探しを沢山すればいいと思うのだ。
私もパンにたどり着くまでに、いろんな作業を積み重ねてきた。
因みにの因みに言うと、楽しくないことも沢山待っている。楽しいなんて感情が湧かない作業でも、続けられている事は続けた方がいい。
ただ、無理矢理にでも楽しいと思い込ませた方が幸せホルモンは出ると思う!
そうやって自分が手間暇をかけられる作業を何個も持っているだけで、幸せで満足な暮らしができるのだから、人生は案外楽なのかもしれない。
シャンと生きている大人はこう言う事をよく分かっているのだ。
お恥ずかしながら私の育ってきた環境にはなかなかそう言う大人が居なくて、大人になってからそう言う人に沢山出会えた。本当に運が良かったと思う。
そんな事、わざわざ言葉にせずとも当たり前だろうと思う事かもしれないが、理屈が大好きな私はこう言う理由をつけないと手間暇をかけられないのだ。
手間暇をかけるために手間暇をかける、趣味手間暇。そう思うと楽しくなってくるなぁ。