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「家を守る」

「家を守る」という言葉は
今ではあまり使われないような気がします。


「家を守る」というのは
家族が生活しやすいよう
生きやすいように
取り計らうことでしょうか?

我が家で
息子の私から見ても
一番うちを守ってきたのは
「母」でした。

父は仕事と自分のことが大切に見えていました。

結局、掃除洗濯、食事の準備
子供(私と妹)の世話
親戚近所のお付き合い、お金のやりくり
などなど
全てをやりくりしてきた(家を守ってきた)
のはやはり「母」でした。

今の母は愚痴が多いです。

特に話に「主語」がないので
何が言いたいのかが
最後まで聞かないと理解できない
「話し方」しかできない気がします。
祖母譲りでしょう。

ですから
そのようないみでは
「母」は「家を守り」ながら
今までに
随分と大変な体験をしてきたと思います。

私はそんな母を尊敬していますし
力になっていきたいとも思っています。
いつか母のように
自分も家を守れるような人間になれるよう
日々考えながら生活しています。

突然ですが土井善晴先生が提案している
「一汁一菜」が精神的な基本です。
「一汁一菜」という型は
体に優しい「食」と
お財布や自分の時間にも優しいと
実感しています。
生活の「食」と「お金」に寄与してくれます。

昨日は
台所の掃除をしました。
夜になってからテレビのドラマを見ました。
(ひさしぶりです)
ゆっくり考えました。

時に「両親」が
いなくなった時を想像します。
(流石に両親の前では言いませんが・・・)
自分一人で生活して行けるのだろうか?
不安になります。

「考えすぎ」とも言われますが
哲学者のハイデガーは
「不安と向き合うことは人間にとっては必要だ」と
いっているようだし
江戸時代の本居宣長も「もののあわれ」という
表現で日本人特有の
「無常感」を述べているような気がします。

私もたまに母の愚痴に
怒りを感じる時もあります。
しかし、母は「主語」がいえない
話し方しかできません。
それは、話の中に「言いたいこと」を
聞いてもらいたい趣旨(思い)がある
証拠だと思っています。

本当に愚痴ばかりならば
私でも匙を投げてしまいそうに
なります。

最後に
「世界を平和にするために
何をすれば良いですか?」と
ある人が
ノーベル平和賞で有名な
「マザーテレサ」に聞いたそうです。

「マザー」は一言
「家に帰って家族を大切にしなさい」
いったそうです。

これは
「家に縛られる」こととは別問題です。
立派な大人としての責務だと
私は考えます。

しかし、それはみんなが
そうしなければいけないの
ではなく
「自分のやれる範囲」「無理しない程度」
でやれるだけやれれば
それでいい
と思っています。

私が、いうことは
おこがましい感じも致しますが
感じたままを綴ってみました。

おわり


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