見出し画像

理念〜稲盛和夫に学ぶ

おはようございます。kohです。

今回は、真面目な話(いつもはふざけてる?)を
したいと思います。

「京セラ」「KDDI」「JAL再建」この三つのキーワードを
知っている方なら「稲盛和夫」さんはご存知ですね。
逝去されても「京セラ フィロソフィ」は健在ですし
世界的に「盛和塾」(せいわじゅく)も展開されています。

この稲盛さんの言葉から今回は
「理念」を曲げてはいけないということを
私の言葉で手たえたいと思います。

「理念」を持つ。「理想」や「思い」などと私はこの言葉から思い起こします。
私は「理念」という言葉は
現実に壁にぶつかっていない人には作れないものだと考えます。
なぜか?「理念」は現実の社会で通用しなければいけないからです。

稲盛さんはこの「理念」は何があっても曲げてはいけないと
述べられています。

自分の軸(自分軸、理念)を
「これくらいいいだろう」と曲げてしまうと
だんだん自分が「理念」から遠ざかっていってしまうからです。
それが会社ぐるみだと「粉食決済」などの
会社(や自分)を苦しみの状態にもっていってしまうからです。

なんだか面倒な表現ですが・・・

例えばです、私の父はワガママですが
絶対に自分の意見を曲げません。
自分の理に適っていないと
息子の私にも憤怒の態度で本気で怒ってきます。
これは悪いことではないと思います。
しかし、自分の理が矛盾していたり
明らかに自分が悪い時は私にも謝ります。
明らかに昭和の親父です。

これは身近な例ですが
稲盛さんのお考えと重なる部分があります。

「父は自分の意見を曲げない」と表現しましたがその分、ブレる父を見たことがありません。
(ワガママは困りますが・・・)
だから、我が一族は父の意見には文句は言いません。
それは波風を立てないこともありますが
父には父なりの哲学、「理念」のようなものがあるからだと思うからです。
それで我が一族はなんとか今まで生活を
社会の中で乗り切ってこれたのは事実だと思います。
私はそんな父に感謝しています。

父は絶対に危険なことには手を出しません。
だから私は父に怒られても恨んではいません。
(半分嘘・・・でしょうか?)

それが、稲盛さんのおっしゃる
「理念」を曲げないことなのです。
つまりは
「ど真剣に生きる」ことにもつながります。

今の指導者たちはあまりに「朝令暮改」(ちょうれいぼかい、コロコロ考えが移ろいやすいこと)すぎる気がします。

「何かにとらわれる、こだわる」ことの
悪い一方行しか見ていない気がするのです。

臨機応変に生きることも大切ですが
他と交わることを避けてしまい
自分の世界ばかりにとらわれるのもどのようなものでしょうか?
(kohの世界も注意しなくては・・・)

と言いながら父も私も他人と交わるのは苦手なので偉そうにはいえませんが・・・。

今回は、「理念」について
(多数の私のぼやきと共に・・・)
稲盛和夫さんから学んでみました。
少しでも気づきがあれば幸いです。

でも、あまり難しく考えないで・・・
あくまでも一つの考え方に過ぎません。

では、今日も良い一日に。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?