自分がない?「自己不在」について
おはようございます。
kohです。
発達心理学では
主に青年期(主に11歳頃から20歳までくらい)の
発達課題を「アイデンティティの確立」と
言っています。
噛み砕いて言うと
自分の中でも「自分はこう言う人間である」という自分の中から見た自分。
集団の中にいても
「私はこう言う人だから」という
周囲から見た自分。
こういう自他ともに認められる
確固たる「自分」を「アイデンティティ」と呼びます。
「自分はこれで生きてゆく」という
意識や覚悟にも近いですね。
実は私も
自分は「アイデンティティが確立していないなー😭」とときに思えてしまいます。
最近、社会的にこの一貫した「自分」という当事者意識
「アイデンティティ」が気薄になってきているように感じるのです…。
何故でしょう?
昔はインターネットという存在はありませんでした。
自分の言いたい「思い」を
良くも悪くも
しかも匿名で(私も含め)周囲に表現できることはありませんでした。
今は、多様性がうたわれる時代となり
インターネットの文章の内容も
少しでも自分の「思い」とフィットしないことにすぐに背を向けてしまう・・・。
それが簡単にできます。
私も含め「自分の思い」というものが
どんどん肥大してゆきます。
インターネットはそんな「思い」ばかりを
拡散することを増長しているのかもしれません。
私はインターネットの弊害(へいがい)の
一つと考えます。
人はそれに振り回されます。
今日「こう」いえば明日は「そう」いう。
日によって言いたいことが違っているのです。
これは、生きるためね「精神」
アイデンティティが確立できていない。
と考えるのです。
昔はアイデンティティどころか
「大人」と「子供」の区別さえも
ない時期がありました。
それは、大人も仕事で忙しいのもありますし
子供も学校を出れば(行かなくとも)
すぐに社会に出されて仕事に就くからです。
(松下幸之助やさんや本田宗一郎さんなどが
そうだと思います)
現代はそういうことがなくなりました。
人の生きる時間も100年時代です。
それにより青年期も伸びつつあるからです。
しかし、「成人式」など
「大人」としての通過儀礼は形式的にでも
確かに残っています。
子供が急に大人になれることはありません。
いろんな葛藤や失敗、惨めさ・・・。
いろんなことを経験した上で
自分という「アイデンティティ」を
作り上げていけるからです。
今では「失敗」しないようにしないように
育てることも大切になってきました。
しかし、そんな中で育った大人は
「自分」というものを持てないと
人生の中で彷徨ってしまいます。
つまり、自分の精神がない「自己不在」の状態だと思うのです。
社会と自分の思いの齟齬(かみ合わない)が「不機嫌さ」に変わってゆくように私は感じます。
「自己不在」を手放す手段は色々あると思いますが、私が一番手軽に考える方法は
「振り返り」です。
「何故あの時こんなふうに思ったのか?」
「どうしてこんな行動に出てしまうのか?」
客観的に自分の行動や言動を「振り返って」みることだと思います。
それには、紙に書くことでもよいです。
書き出すことにより
考えを客観視することができます。
たまには
自分と向き合って
「あーでもない」「こーでもない」と
自分を内観(内を見つめること)してみることでも必要かと思います。
自分を見つけると
他者の言うことも
受け入れやすくなれます。
私もnoteに書くたびに
他のnoterさんの記事を読むたび
「共感」させていただき
満たされてきました✨
ありがとうございます😊
今回は「自分がない;自己不在」について
私の感じることを述べてみました。
しかし、絶対的じぶんも
世界には存在はしません。
その辺の心のかじ取りも大切と思います。
私も自分を確立したい者の一人です。
でもあまり固執しないで
のんびりと生きたいです。
では また
おわり
chiyoizmoさん素敵なイラスト
どうもありがとうございます。