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「人」と「修羅」

これはあくまでも
私個人の世界観の一つです。
ですから、ご自分とは
切り離してお読み下さい。


当たり前ですが
「人」は永遠に生きることは
できません。

日本人は
春の桜にその姿を映します。
パッと咲いて
パッと散る。
それでも咲いている間は
周りの人々を楽しませます。

日本にはそのような
「生き方」の考え方があります。

これは決して
その場限りの「刹那(せつな)」的な
生き方ではなく
与えられたその日一日を
懸命に生きることです。
懸命に生きて自信が満足することにより
「足るを知る」の教えが見えてきます。

人として「足る」ことがわからない。
「あれも欲しい、こうなって欲しい」とばかり
辺りを見回して生きる人も
たまに見かけます。

自分の思いが満たされないと
平気で人に唾を吐きかけるような人です。
まさに「阿修羅」のような人です。

私は「人間」ですから
「人」らしく叶うなら
穏やかに暮らしていたいです。
まさに「足るを知る」生き方に
理想が近いです。
(もちろん毎日良いことばかりでは
ありませんが・・・)

「修羅」のように生きる人には
それがわかりません。
自分の嫌な考えや今までの我慢やいまの不満
ありとあらゆるドグマを
まさに「いま、ここで」一瞬にして
満たそうと躍起になります。

毎日そんな考えで
生きていたら
「人間」の世界での
「生活」が保てるはずがありません。

修羅のような考えの人は
それは「社会が悪い」「周りが悪い」と言います。
しかし、本当は当人の考え方によるものです。
しかし、本人はそれを認めたくないのです。

それに、この世界は
未だ「人間」の世界です。
誰もが完璧ではありません。
全てを満たして生きる人など
この世にいません。
みんな譲り合って生きています。
まさに「お互い様」なのです。

「修羅」のような人は
血気盛んです。
ですから言って聞くような人は
まずいないでしょう。
一旦、気がたちのぼって
「修羅」のような振る舞いに出ると
周囲の人はその意気が終わるまで
絶えに耐え我慢するしかなくなってしまいます。
相当のストレスです。

よく「本人に悪気がないから・・・」という
譲(ゆず)り文句があります。
本人には言ってもわかりません。
その意味では「悪気」は確かにその人に
存在しないかもしれません。

しかし、その周囲で
物言わず耐え続けた人の
ことを考えてみますと、
まさに八つ当たりです。
それでなお「受け入れろ」と言われたら
生きる上で「泣き寝入り」になってしまいます。

どうすれば
このような「修羅」のような人に
接してゆけば良いのでしょうか?

「人」である私には
理解できません。

今回は「人と修羅」という
重いテーマを扱いました。

人間はこの問題に向かうために
何千年と文化やより良い社会を作り上げたと
言っても過言ではないと考えます。

せめて
毎日を
精一杯生活したいと思います。

おわり

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