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静寂

もう、自分の人生詰んでしまった・・・。
誰にもこの気持ちはわからない・・・。

誰しも
辛く苦しくなると
一人の世界で
このような考えが
頭を巡り巡ります。

結論から申し上げれば
「視野が狭くなっている」のです。

それをまた
誰にも言わず、言えず、
一人心の中で逡巡してしまう。
まるで頭の中で蛇がのたうち回るかのように・・・。

ですから
そのような時は
私は「書く」ことにしています。

読んでいただく人には
とても申し訳ありませんと
思っていますが
noteに書いていると
頭が冷静になってきます。

noteにかけば
推敲(すいこう;文章を書き直す作業)するために
必ず一度は自分で読み返します。
そうすれば
自然と自分の描いたものを
目から客観的に見ることができるからです。

目の前にある
困難はやはり認めたくありません。
見たくもない。
考えたくもない。
人として当たり前の感情です。

それでも
周囲の幸せそうな人も
羨ましい人
手の届かなくように感じる人
みんな、一人一人
「幸福」と「不幸」の数は
誰でも同じはずではないでしょうか?

何も私にだけ
「不幸」がわざと重なる
生き様があるのでしょうか?

私は、「神様はそんなに暇ではないよ」と
勝手に思っています。

それは、楽観的すぎる
思考なのでしょうか?

もしそうだとしても
「明日のことは誰にもわかりません!!」。

わかっていると
思い込んでいる自分がいるだけです。

極端な思考。
歪んだ考え。
などは、自分が作り出していると
気付ければ、少しは楽になれませんでしょうか?

まさに
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の
言葉の世界です。

私も今日、昨日、最近
絶望的な思考に悩まされました。
今考えると
「とっても無駄な時間だったな〜」と
思います。

でも
悩むことは
正直に、素直に
問題に向き合おうとしている証拠かもしれません。
やはり、時間は必要です。

今は、感じる時間のスピードが
昔より数段早くなっています。
なぜなら、このように
素早くnoteなどに自分の考えを
書ける。そんな
便利な道具が
身の回りにたくさんあるからです。

いつからでしょうか?
このような便利さを手に入れて
それがさも当たり前と
思い込んでしまったのは・・・?

夜は誰にも平等に
やってきます。
苦しみもまた然りです。

人生に
「これで上がりだ」なんて
決めつけられることはありません。

この夜に
静かに誰もが
同じくらい苦しんでいる。
または、乗り越えたり
残念ながら諦めたりして
穏やかな状態で夜を迎えていらっしゃる方も
いると思います。

どうか、自分だけと
自分で決めつけないで欲しいです。

朝は誰にでも
やってきます。

おやすみなさい・・・。

最後まで、読んでくださり
ありがとうございます。

多分、苦しみの中の「幸せ」は
本物だと思います。

少しでも
読んでくださる方が
安らいでいただければ
幸いです。

おわり

amulettemomoさん
素敵なPhotoを
ありがとうございます。

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