罪悪感✕恐怖心=行動力?
(中学生の時の自分を内省してみると…)
勉強を頑張る私は、努力家。勤勉。しっかり者。
そんな、肩書きを手に入れた。
中学生になると、テストの順位が決められる。
いい点数、いい順位が得られると初めは嬉しかった。でも、嬉しかったのは初めだけだ。
いい点数を取って、順位をキープしなければ。
勉強ができて、努力家なことが証明できなければ、私の存在意義は何だろう。そんな考えが浮かぶようになった。楽しかったはずの勉強はいつの間にか、恐怖心が支配するようになった。
そして、中学生にもなればどんなに家族が経済状況を取り繕うと、自分の家の本当の経済状況を把握する。そして、私は他の家庭と相対的に見ると自分の家は所得が少ないことを知る。
そんな中でも、自分のためにお金を出してくれるのがありがたく感じ、せめて勉強で結果を残したいと思うようになった。
申し訳なさ、罪悪感を感じ始めたのだ。
頑張っているのは夢を叶えるため、やりたいことがあるから。ただ、好きだから。周りにはそう言っていたが、自分がそう思いたかっただけで、私の行動は前向きな感情から来ている訳ではない。
恐怖心と罪悪感が掛け合わさることで頑張る私が形成されたのだ。
この感情に支配されるとどんなに頑張って結果を残しても喜びを感じなくなる。
恐怖心や罪悪感からは一時的に解放されるが、いつまでも逃れることはできない。再び罪悪感や恐怖心は私を襲い、私はその感情に駆られて頑張る。そんな状態が続いてしまうのだ。
どんな行動をするかよりもどんな感情からその行動をしているのか。行動の水面下にある心の動きを観察できなければ、私は自分自身を生きやすくすることはできないと。
中学生の時の私が、今の私の心に語りかけた。
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