冬のシベリア⑫ ヤクーツク編 大学とレストラン
マンモス博物館を訪れた翌日、日本語講師のKさんに来るようにと言われた大学へ向かった。大学は博物館近くにある立派な建物で簡単に辿り着いた。
北東連邦大学という立派な国立大学だ。
校門でKさんに再会してから校内へ入り、日本語学科長室へ通されると女性学科長のEさんに挨拶した。料理の勉強でヤクーツクへ来ている旨を伝えたところ学科長は「あら、だったらあそこのレストラン紹介したらいいんじゃない?」とKさんに視線を送った。Kさんも納得した面持ちで同意し、何処かへ電話をかけ始めた。
なんと近くのサハ料理を出すレストランの取材アポを取ってくれたのだ。
「通訳にうちの生徒を付けるから一緒に行ってみてください」
サハに来てから色々と縁が続いてとてもありがたい。その後Kさんの教室へ顔を出した。
ヤクーツクの日本語学科
教室には生徒達がうろ覚えだが10数名ほど着席していた。前日に会ったK君もいる。
皆んな日本文化、特にアニメや音楽に興味があって日本語を専攻しているという。前述のPさんもこの学科出身ということが判明した。世間は狭い。
Kさんは生徒達に私を紹介し、レストランへの付き添いに女子生徒2人を付けてくれた。
2人とも日本への留学経験があり日本語が堪能で頼もしい。
レストランへ徒歩で向かいながら彼女たちから色々な話を聞けた。
冬場は日本の某タイヤメーカーの社員が凍結路のテスト走行でやってくるので、通訳のバイトをしたりしているとのこと。
サハの若者の間では日本文化は人気が高いが、最近では韓国人気の勢いが強いらしい。
「日本生活は楽しかったです。また行きたい」と日本がお気に入りのようだがロシア通貨安で中々行けないと残念がっていた。
レストラン再訪
取材アポを取ったレストランへ到着すると中に入るまで気付かなかったが、以前にPさんと食事したレストランだった。すごい偶然と思われたが狭い世間を考えれば驚くべきことでもないだろう。
最初に出迎えてくれたのはオーナーであった。オーナーはとても早口で豪快に話す人で店内に飾ってある伝統工芸品を歩きながらすごい勢いで解説し始めた。
更に私に自身で撮影したというサハの伝統生活を綴った写真集をくれた。立派に製本された見応えのある物だ。
席に着くと矢継ぎ早に「君の大学の専攻は?」「レストランは何店舗経営しているんだ?」など質問が飛んできた。会話が速過ぎて通訳の子たちも大変そうだ。
質問内容からオーナーはどうも私が日本の有名レストラン経営者であるかのような勘違いをしているように思えてきて、気後れしてしまう。
店は1店舗しかないと答えると、
オーナー「何席あるんだ?」
私「、、20席です」
本当は15席しかないのに私は咄嗟に5席水増しして答えてしまった。少しでも大きい店を装いたかったが為にしょうもない嘘をついたのだ(5席増えたところでなのに、、)。
オーナーは徐々に私への関心を失うとやがて席を後にした。
今度は付き添っていた店員がキッチンへ案内してくれて、シェフのNさんとの面談となった。
フランスやスペインの料理を学んでいるというNシェフは耳にピアス、後ろ髪の一部を背中まで伸ばして三つ編みにしているサハでは少し変わった風貌の男性だ。
面談を始めると料理がコース仕立てに運ばれて来た。
使われている食材は基本的にサハ産だ。
魚について、冬場はやはり水揚げするとすぐ凍ってしまうらしい。品質が落ちるという理由で解凍後切り身にして再冷凍することはできないとのこと。
魚にはベリー系のソースが合うという。
馬肉に関しては産地や餌を意識して仕入れているというこだわりがある。
スパイスなどは殆ど使わないとのことで、私がインド料理を得意としていると伝えると「マジか、」と顔を曇らせスパイシーな料理は好きではない様子であった。
サハ料理とは
Pさんとの会食時のメニューも含め、Nシェフの料理は他国の料理を取り入れながら彩り美しく洗練された味で表現されている。
以前に訪れた老舗ホテルのレストランについて私が言及すると、「あそこの料理は17世紀から変わってないんだ、信じられないよ。何か物足りないんだ」と一蹴してしまった。
個人的には老舗の味も好きだし、歴史に思いを馳せるロマンがある。
それとは対照的にNシェフの料理は、サハ料理をベースに外部の調理法と融合させ新しいサハの可能性を体現している。こういった試みは古今東西行われてきただろうし、そうやって料理は進化し続けているのだと思う。
伝統を守る店と変化にチャレンジする店、どちらも大切な存在だ。
面談を終え店を後にすると外はすっかり暗くなっていた。
帰り道、サハ料理についての理解が深まり満足気な私に、通訳してくれた子から衝撃の発言が飛んできた。
「普段私はサハ料理をあまり食べません」
同意した様にもう1人の子も「私は馬肉が好きではありません」と述べた。ショックであった。
確かに何でも手に入る現代では極地料理というのはお呼びでない感は否めない。
Nシェフもそこに気づいて新しい手法を取り入れてサハ文化維持の一助にチャレンジしているのかも知れない。