リチクク

宮城県でバーを営業しております。カレーなどのエスニックや創作料理を提供しております。食をテーマに海外を旅するのが趣味です。

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最近の記事

ブラジルとアマゾングルメ⑤ベレン編その2

ベレン料理はブラジルの中でも特異的で、それを成り立たせているものはユニークな食材たちだ。私が食べてきた物は一部にしか過ぎないが紹介していく。 ピラルクフライとアサイーペーストヴェロペーゾ市場内にある食堂で人気のメニューだ。 塩漬けされたピラルクに衣を付けて揚げたものとアサイーペーストのセットで、ファリーニャ、砂糖、ライム、唐辛子を自由にトッピングして食べる。 衝撃的な味であった。この頃の私は全くの新しい味に飢えていた。 アサイーの青臭さ、ピラルクの生臭さ、これらは打ち消し

    • ブラジルとアマゾングルメ④ベレン編その1

      ブラジルの南部に位置するサンパウロから飛行機で北部にあるアマゾンの玄関口「ベレン」にやってきた。空港に到着したのは夜中だったがアマゾンだけに湿気を含んだ風が身体にまとわりつく。 治安が悪いと聞いていたが、ウーバータクシーを利用して難なく予約した宿へ到着した。 熱い夜宿は古いビルのワンフロアに設けられており、ドミトリーでボロボロのベッドが所狭しと配置されていた。暗い室内はエアコンがなくこれまたボロボロの大きな扇風機が部屋の湿気をかき回していた。 ベッドには半裸の初老男性が数名

      • ブラジルとアマゾングルメ③サンパウロ街歩き&グルメ後編

        サンパウロ市内はボランティアによる無料の街中徒歩見学ツアーもあり暇つぶしに参加するのも良い。 街中で珍しい光景を目にした。 横断歩道の信号が青になると、道路中央に出てきた女性がフラフープのような物で停車中の車に対して大道芸を披露し始めた。僅かな時間で投げ銭を得ようとしているのだ。 昔インドのタクシーで停車中に子供が寄ってきてバック転や側転を披露し始めて投げ銭を要求してきたが、上記の女性の様に正面から披露するパターンは初めてだった。横から披露する場合は手軽に窓から金を受け取

        • ブラジルとアマゾングルメ② サンパウロ街歩き&グルメ前編

          今回の旅のメインはブラジル北部のアマゾンエリアの料理であるが、南部に位置するサンパウロの都会ならではの料理も注目したい。 ブラジル料理とはそもそもどういったものか。日本人にとって最初に思い浮かぶのはブラジル版バーベキューの「シュラスコ」だろうか。むしろそれ以外はあまり認知されていないようにも思える。少し知っている人なら豆料理「フェイジョアーダ」が次に上がるだろうか。 意外かもしれないがブラジルやペルーなどの南米料理は近年世界の一流シェフ達から一目置かれる存在だ。 様々な移民で

          ブラジルとアマゾングルメ① 序章

          2019年2月、約24時間のフライトを経て日本の裏側であるブラジルのサンパウロに到着した。まだ日の出に至らない早朝4時半だ。予約していた宿のチェックインは午後からなので空港でしばらく時間を潰す事とした。 周囲を見渡すと皆スマホを堂々と使用している。空港内だからなのだろうか。というのもここブラジルなど南米は治安が非常に悪いことで有名だ。スマホを手にしているだけで容易に盗られてしまうといったエピソードが山ほど語られている。昔と違い現代の旅ではスマホの依存度が非常に高い。宿や飛行機

          ブラジルとアマゾングルメ① 序章

          [番外編]SUSHIとクラフトビールから読み解くスパイスカレー

          今から18年程前のことだ。私はインドのニューデリーのとある薄暗いアパートにインド人数名といた。 帰国間近であった私は所持金が詐欺に遭って底をつきかけ、何なら善良なインド人から金を借りてさえいた。旅の疲れと不衛生さから腹も下し気味になっていた。 宿泊宿のオーナーの弟であるB氏から「金が無いならカレーをご馳走してやる」という理由で彼の仲間数名と一緒にアパートへ連れて来られた。 室内にあるベッドに皆腰を掛けると(知らないインド人が寝ていたが気にする素振りもなかった)、新聞紙を広げ、

          [番外編]SUSHIとクラフトビールから読み解くスパイスカレー

          モンゴルとゴビ砂漠⑩ 終章

          砂漠の旅も終盤に近づいた頃だ。遊牧グルメや砂丘遊びに我々は本来の目的を忘れ、心はすっかり満たされていた。 最大の有力情報しかしながら遊牧民へモンゴリアンデスワームについての聞き込みは続けていた。 実のところ最初は仕事と割り切って関心を示さなかったガイドのOさんは、時を経るにつれデスワームへの調査に前のめりになっていったのだ。我々を焚き付けるように取材に勤しんでいた。 そんな中とあるゲルで有力な情報を耳にした。 聞き込みした対象は中年女性で、取材時の前年に薬草取りをしていたと

          モンゴルとゴビ砂漠⑩ 終章

          モンゴルとゴビ砂漠⑨遊牧グルメ編 その三

          内蔵屠りたての山羊は小籠包の他に内蔵の塩茹でも食べた。 血液も無駄にせず料理に使う。屠殺シーンは見れなかったが伝統的な方法は腹部にナイフで切れ込みを入れ、そこから手を突っ込んで心臓付近まで延ばし人差し指と中指で太い血管をネジ切り、そして腹腔内に溜まった血液を切れ込みから容器に注ぐ、といった流れだ。 内蔵茹ではシンプルな味付けにも関わらず、濃厚で臭みが少なくこれまた唸る美味しさであった。 アルコールと一緒に食べたい。 資源の少ない土地で家畜を食べるとなると本当に無駄がない。

          モンゴルとゴビ砂漠⑨遊牧グルメ編 その三

          モンゴルとゴビ砂漠⑧遊牧グルメ編その二

          ラクダモンゴルにおける家畜は五畜とも呼ばれ、これは牛、山羊、羊、馬、ラクダを指す。 これらがどこでも飼育されている訳ではなく、エリアに寄って偏りがある。北部のエリアは牛や羊が多いが南部はそれらは少なく、ゴビに至っては山羊とラクダが多い。当然ながら気温や降水量、植生によって適応できる家畜が変わるのだ。 ゴビにいるラクダはフタコブラクダで昔は運搬用として活躍していたようだ。その昔、天竺を目指した三蔵法師は旅路であるゴビ砂漠のあまりにも過酷な環境に心が折れそうになり、般若心経を唱え

          モンゴルとゴビ砂漠⑧遊牧グルメ編その二

          モンゴルとゴビ砂漠⑦遊牧グルメ編その一

          ズルガナイオアシスではモンゴリアンデスワームを確認する事はできなかったが、後日動体検知カメラに謎の動きをする物体が一瞬映り込んでいる事が判明した。これが一体何なのか、未だデスワームの可能性を捨てきれていない。 それをまだ知らずにオアシス調査を終えた我々は再び長距離移動し、聞き込みを兼ねて新たなゲル集落を訪問しゴビグルメに舌鼓を打つのであった。 馬モンゴルの遊牧民にとって馬は何と言ってもかかせない。老若男女誰もが乗りこなすという。 かつて無敵と謳われたモンゴル帝国の強さたる所

          モンゴルとゴビ砂漠⑦遊牧グルメ編その一

          モンゴルとゴビ砂漠⑥ズルガナイオアシス後編

          ハードキャンプズルガナイオアシスにおいて、モンゴリアンデスワーム調査のフィールドワークの他は所謂キャンプ生活だ。 私はあまりキャンプ経験はないが日本はコロナ禍以降アウトドアブームが到来し、ソロキャンプや冬キャンプなど多岐に渡ったスタイルが見受けられる。 今回の話はキャンプブーム前の事だがかなり特異的なキャンプであったと今になって思う。 6月のズルガナイオアシスのキャンプはかなり過酷だ。私は勝手に3地獄と呼んでいる。 灼熱地獄、虫地獄、突風地獄。これら3つの地獄に交代で見舞われ

          モンゴルとゴビ砂漠⑥ズルガナイオアシス後編

          モンゴルとゴビ砂漠⑤ ズルガナイオアシス 前編

          モンゴリアンデスワームの調査地までの中継地点であるセブレイのゲル集落を出た我々は、目的地となるズルガナイオアシスへと車を走らせた。 広大なゴビはとにかく移動時間が長い。車中では英語が堪能なガイドのOさん(英語を話せないドライバー2人にも通訳してくれた)と色々な話をした。 モンゴリアンデスワームについては、3人とも聞いたことあるような無いような反応だし、存在しないだろうといった面持ちだ。しかしあくまでビジネスなので依頼を受けてくれたのだろう。 日本にやってきた外国人が個人ツア

          モンゴルとゴビ砂漠⑤ ズルガナイオアシス 前編

          モンゴルとゴビ砂漠④ ゲル宿泊編

          ゲル集落に到着した我々モンゴリアンデスワーム調査隊は、カルガモ親子のようにガイドのOさんに着いて行き1つのゲルの中へ入った。 「サインバイノー!(こんにちは)」 住人らしき人が2人いる。 ゲル内は生活感ある調度品がきれいに置かれていて広々としている。テレビまである。 Oさんはモンゴル語で2人に話しを始めた。 Oさんの話が一通り終わると2人は出て行ってしまった。 要約するとOさんはゲルの宿泊交渉をして、我々はこの晩ここに泊めてもらうこととなった。元々いた2人は隣の親族のゲルに

          モンゴルとゴビ砂漠④ ゲル宿泊編

          モンゴルとゴビ砂漠③ 砂漠走行編

          我々モンゴリアンデスワーム探査隊はウランバートルから国内線でゴビ砂漠へ向かった。 飛行機は小型機で荷物の重量制限が厳しい。テントセットや動体検知カメラ数台など重量が嵩む物が多く、荷物検査が通るかかねてより心配していた。 事前に総重量を測り各隊員の荷物にバランス良く振り分けた甲斐あって、何とか検査をパスする事ができた。 目指すはウムヌゴビ県ダランザドガド市。 空港を出ると、事前に手配していたガイド1人とドライバー2人がランクル2台で出迎えてくれた。 ガイドは女性のOさん、ド

          モンゴルとゴビ砂漠③ 砂漠走行編

          モンゴルとゴビ砂漠② ウランバートル編

          UMA探査隊北京からウランバートルへ到着した我々はゲストハウスに着くと、先に入国していたKさんとM君に合流した。 今回の旅の目的はゴビ砂漠にいると噂される未確認生物(UMA)「モンゴリアンデスワーム」なるものを探し出す事であった。 世界各地で名を馳せるUMA達、代表的な物を挙げるとネッシー、ビッグフット、チュパカブラ、我が国日本でもツチノコは馴染みがあるだろう。 皆昔から噂されているものの現代に至るまでほとんど発見されていない。発見された事例としてはシーラカンス位であろうか。

          モンゴルとゴビ砂漠② ウランバートル編

          モンゴルとゴビ砂漠① 序章

          2016年6月、我々3人は北京空港の待合ゲートでウランバートル行きのフライトを待っていた。 偶然隣にいた肉付きの良い優しそうな顔をした男が、日本語を話せるモンゴル人であった。 モンゴル人と聞いて私達はどうしても尋ねたい事が念頭にあった。 「オルゴイコルコイについて何か知っていますか?」 男は首を傾げる。伝わっていないようだ。 「ゴビ砂漠にいると言われている、巨大なミミズです」と説明を加えた。 男は一瞬困った顔した後、「雨降った後、地面を掘ると出てきます」と述べた。 手のジェス

          モンゴルとゴビ砂漠① 序章