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エチオピア ⑥ユッケ&牛刺し編

田舎町の食堂へ行くと、席の隣の部屋から動物の鳴き声が聞こえたりする。一度お昼時の食堂で男性スタッフが手にナタを持ちながら、子山羊を担いで小さな小屋へ向かうのを見かけた。鮮度は保証できる。

鮮度といえば、エチオピア では生肉を食す文化もあるのだ。このアフリカの地で。

生肉文化が誕生した歴史的背景としては諸説ある。その一つとして、敵からの侵略から逃れようと山に隠れた人々の話がある。火を使って料理をすると煙で棲家が見つかってしまう。そこで仕方なく火を使わずして肉を食べる習慣が生まれたという。

私は灼熱のアフリカで生肉を食べれるのを楽しみにしていた。こんな経験はなかなか出来ない。しかしどこで食べれるのか調べが付かず困っていた。
そんな中アジスアベバの宿で日本人女性のNさんと偶然知り合った。Nさんは当時エチオピア の少数民族について研究していた大学院生だ。エチオピア の食事情にも詳しく、私は逃すまいとウザい位料理について色々と聞いた。
生肉を食べれる店についても尋ねたら、知っているとのことで連れて行ってもらうこととなった。

アフリカンユッケ

最初に訪れたのが繁華街にある高めのレストラン。比較的清潔そうな店内だ。さっそく山羊の生肉等をオーダーすると、ミンチ状にしたものが葉っぱで包んだお皿にたっぷりと盛られ供された。付け合わせの「ニッターケベ」と呼ばれるスパイスやハーブが混ざった発酵バターと一緒に食べるスタイルであった。
味としては肉自体の臭みも少なくニッターケベのオイリーなハーブが効いている。アフリカ版ユッケといったところか。

左から山羊生肉、「ニッターケベ」、
緑野菜の炒め煮「ゴメン」



アフリカン牛刺し

続いて日を別にして行った店は、生肉専門店。
この日はエチオピア 国内の少数民族による暴動が起きた為に非常事態宣言が発令され、その関係で交通インフラが麻痺し、アジスアベバは陸の孤島と化としていた。飛行機での入国者はことごとくアジスアベバで足止めを喰らっていた。
私の滞在していた宿には行き場を失った日本人バックパッカーが次々と転がり込んできて、連れ込み宿はたちまち日本人宿と化した。
暇そうなバックパッカーに生肉を食べないか誘ってみたら、さすがアフリカに来るだけあって皆んな好奇心旺盛な反応で、8人近い団体になってしまった。しかもその内の1人はベジタリアンだという男性Mさん(何で参加したのだろう)。

ギラギラした太陽の光を浴び、汗をかきつつ一行が到着した店は、牛と思われる大きな枝肉が店先にぶら下がっていた。これだけでもインパクトのある光景だ。写真を撮って良いか聞いたら凄い剣幕で断られた。
気を取り直して店内へ入ると扇風機がガンガン回っている薄暗い席へ通された。前述のユッケを食べたレストランと比べると大衆感が凄い。客も男性しかいない。
アルコールも飲めるというので待ってましたとビールをオーダーした。肉についてはNさんにお任せした。
ビールで喉を潤していると、肉が運ばれて来た。店先の枝肉を削いだものだ。
赤い艶やかな光沢をまとった牛肉、そしてそこにナイフとバルバレを使ったタレ、インジェラ、ライムが添えられている。
試しにタレを味見してみると、スパイシーな辛いソースであった。
ナイフで一口分肉を切り取ってタレを付けて口に運ぶ。炎天下にぶら下がっていた肉とは思えないくらい新鮮でクセが無く美味しい。ビールが進む。

ひとつ残念なのはタレに旨味がなく物足りないところだ。熟成肉ならまだしも、鮮度が良いが為に旨味がない。ぜいたくを言えばワサビと醤油で食べたいところだ。
ベジタリアンのMさんはインジェラをつまみにワインを飲んでいた(本当に何しに来たのだろう)。

エチオピア へ行く際は醤油とワサビは必須だ
生肉に飽きたら残りを焼いてもらえる



腹を満たした我々は店を後にし、まだ陽射しの強い日中に解散した。
夕方頃、私は宿へ戻ると生肉メンバーの1人に出くわした。顔色が青ざめている。
「いや〜、お腹完全にやられました、、。」
旅先で腹を壊す事はよくあるがタイミング的にやはり生肉だろうか。
「生肉食べた他の人も何人かやられてます、。」
聞けば生肉メンバーの半数ほど腹を壊してダウンしているという。完全に原因は生肉ではないか。
私が皆んなを誘った手前何か申し訳ない。

今思えば酸っぱいインジェラを常食していた私は、胃酸が強化されて食中毒菌を寄せ付けなかったのではないかと、根拠に乏しい考察を持っている。
アフリカの牛刺しはインジェラをある程度食べてからチャレンジする事をお勧めする。



ありがとうインジェラ
(バックパッカーのKくんと筆者)



ちなみにこの晩、生肉を食べた複数人がベッドで悶えて苦しんでいるのを他所に、Mさんは買春しに繁華街へと消えて行った。

「肉食」とは何かを考えさせられる夜であった。

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